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苦し紛れに愛を説くと…

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 10時57分

今週の聖書

マタイによる福音22,34-40

2002.10.27記

 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

今週のポイント第一印象は、「また来たか。」
我が道を邁進している自分の前に両手を広げて
「待て待て…」と通センボウをされたような感じと言っていい。
仕方なしに、「愛とは…?」と腕組みせざるを得ない。

正直言って、第一の掟だけだったらどれだけ気が楽だったか。
相手が神様だけなら、見えないお方だけに、
何よりも、その120%の温厚さに甘えて、
「またこの次…」とか何とか言ってお祈りをさぼっても
生活に支障を来すほどに事を荒立てたりはなさらないことを
学習してしまっているからだ。

そんな自分の横着さをとっくに予測したかのように、主は、
第一を言った後、すかさず、第二の掟を加えることを忘れなかった。
やっぱり釘を刺されたのだ。

おかげで、人間関係の煩わしさを逃れて、
「神様、愛しています」と自分でも歯の浮きそうな愛の告白をしたりすると、
後ろの方で、「オラ、オラ、第二、第二!」と主が牽制するワケ。
それでも無視して、「これが神の望みなのだー!」
と拳をふりあげて過激派になりたい衝動に駆られたりもするが、
やっぱり、あの「第二、第二…」が気になって…。
「あーでもない、こうでもない。でも、そうかもしれない。うーん!?
いや、やっぱりこれかもしれない。あー、しょうがない、これで行くか!」

そんな自分の前に容赦なく立ちはだかる人々。それに、
身の回りの出来事から、拉致やテロなどといった諸々のこと。
一人の人間として、司祭として、園長として、
評論家になったり、足下をすくわれたりしながら
優しく、厳しく、なんとか第一と第二の折り合いをつけようとする。

早朝、鶏一家のただならぬ大悲鳴に
何事ならん、とパジャマのまま飛び出してみると
愛犬モクが押し入り、一家は、文字通り、上を下への大騒ぎ。
怒り心頭に達したボクは、
しっぽを振って走り寄ってきたモクを乱暴に取り押さえ、
地面に押しつけ、手が痛くなるほどひっぱたいたり、
鼻を小屋の金網にこすりつけたりの大せっかん。
「ダメでしょうが!弱い者いじめをして!ん?!」
「キャーンキャーン。」
(イタイヨー、ゴメンナサイ)?
これって、愛の鞭?それとも、テロにはテロの、単なる怒りの爆発?。

今日は一日モクを完全無視して一顧だにしないお仕置き。
でもモクはボクの愛(いと)しい友達。

あれ、何で神様の愛がモクの愛になったの?


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