門前に立つ知恵
知恵の書6,12-16
2002.11.10記
知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、探す人には自分を示す。求める人には自分の方から姿を見せる。知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに自分の門前で立っている知恵に出会う。知恵に思いをはせることは、もっとも賢いこと、知恵を思って目を覚ましておれば、心配もすぐに消える。
知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う。
M君は長い闘病生活で、しばしば床ずれの手術を受け、苦しい毎日。
いつ癒えるとも知れない病と闘う彼の苦しみと闇の深さをボクは知らない。
それでも、あるいはだからこそなのか、手紙を良く書く。
「ボクは父なる神に救われているのでしょうか?」
との問いには言葉がない。
しかし、そんな辛い問いの後でも
「ボクのため祈ってください。神父さんのためにも祈っています」
という文面が絶えない。
高齢の司祭が毎週訪問してくれるので「ありがたい」とも。
「世界中のどこかでボクのことを祈ってくれる人がいると思い
感謝し祈っています。」
老いていく父への心遣いも忘れない。
「どうか父のためにも祈ってください。」
自暴自棄に成らず、しかし、絶望の淵にも立ちながら
それでも、一筋のひかりを求めて日々葛藤する彼を思うにつけ、
冒頭の一節を実感する。
「知恵は輝かしく、朽ちることがない。」
彼に「輝かしい」という言葉は似合わないが、
彼の中で働く「知恵は輝かしく朽ちることがない」という意味だ。
どんなに苦しくても、祈り続ける意欲、それが知恵。
肉親を気遣うのは自然だとしても、
同病者の近況を知らせることも忘れない。それも知恵。
不信と絶望の淵に立ちながらも、何とか感謝しようとする。それこそ知恵。
返事を怠ると罪の意識さえ覚える真摯な文面。知恵の実りと言えようか。
「愛し、探し、求めて、思いをはせ」ないと出会えない知恵。
その気になりさえすれば、「苦労せずとも、門前で出会える」知恵。
一方、知恵も自分にふさわしい人を捜しているという。
出来ればお互いにすれ違うことのないようにと祈ります。