神の国道路公団民営化問題
作成者 admin
—
最終変更日時
2006年03月29日 13時17分
ヨハネによる福音1.19-28
さて、ヨハネの証はこうである。エルサレムのユダヤ人達が祭司やレビビト達をヨハネのもとに遣わして「あなたは、どなたですか?」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「私はメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「ではあなたは何ですか。あなたはエリアですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者のなのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで彼らは言った。「それでは一体誰なのです。略」…
「私荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」…
「私は水で洗礼を授けるが、あなた方の中には、あなた方が知らない方がおられる。その人は私の後から来られる方で、私はその履き物のひもを解く資格もない。」…
小泉首相の改革への取り組みにもかかわらず、
様々な思惑が絡み道路公団の民営化は一筋縄ではいかない。
思惑がらみと言えば、人ごとではない。
我が神の国道路公団も民営化には道半ばの感が強い。
来るべきお方を待ちながら
「主の道をまっすぐにせよ」と
一人黙々と道路造りに励んだヨハネの心意気は今いずこに。
自分の所有地だけ大きく削られるのは納得いかない。
道路整備には付き物の不満だ。
こちらが一メートルなら向かいも一メートル。
たまには、
切るには惜しい思い出の古木が立ちはだかることもある。
自分だけ新しい気持ちになっても、
相手も、同じように変わってもらわないと意味がない。
こっちばかりが、相手を理解しようとしても、
相手もこっちの立場を考慮してもらわないと困る。
どちらの言い分も正しい。
しかし、正しいことが道路行政に必要なのではなく、
自分の利害よりも、もっと大きな善に貢献しようとする
小を捨て大をとる高邁な心がまっすぐな道を造る。(注)
これこそ、神の国道路公団の現場で働く人々の心意気。
しかも、
私はその方の履き物のひもを解く資格も無い。
何という気高い自己認識。
にもかかわらず、
あーだ、コーダと言い立てて譲ろうとしない
あなたは一体何者?!