あなたを生かす神の裁き
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イザヤ1,1-4;6-7
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。 わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ 彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼の教えを待ち望む。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び あなたの手を取った。 民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。
見ることのできない目を開き 捕らわれ人をその枷から 闇に住む人をその牢獄から救い出すために。(日本聖書協会『聖書 新共同訳』より)
先日、MEの仲間の家で目にとまった言葉、運命。心にとまったのは、次の説明。「運命とは命を運ぶこと。」思わず、なるほど!これまだと、「自分ではどうすることも出来ない状況に直面すると『運命だから・・・』と言ったりしますが、信者はそうは言いません。神様のみ旨と言います」などと得意がっていました。けれども、運命が文字通り命を運ぶことだということには思い至らなかった。改めて含蓄のある言葉であることに驚いた。
今日のイザヤの本文には、裁きという言葉が三回も出てくる。聖書学者の雨宮神父さまによると、裁きという言葉は、「人間生活が繰り広げられるあらゆる領域で、人間を幸いにする秩序を作り出す働き」
を指すのだという。改めて本文を読み返してみると、二千数百年の時空を超えて、一言一言に込められた神の思いが胸に迫ってくる。まさに命を運ぶ福音として響く。
更に、私たちのために一番いい環境を整えようとして腕まくりをしている神様のイメージが湧いて嬉しくなる。神様から頂いたこの命、つまり、この性格、能力、身体的特徴などなど、何かにつけ自分のふがいなさばかりが目につき、ダメな自分を嘆いたり引け目を感じたりすることの方が多かったと思う。そして、自分の罪深さを思うにつけ、慈しみの神さまを信じていると言いながら、しかも、「裁きというのは、裁縫の裁ですから、ハサミを入れて裁つ、つまり形をつける、ハッキリさせるという意味です」などと話したりしながらも、実は、少し無理に安心しようとしていたところがあった。「『アンタは黒!』とハッキリさせられても困るなー」と、どこか不安なような・・・。
裁きについての新しい説明に触れると、この私の命は、神様が運んできてくださったもので、まさに運命的?であり、しかも、これまでの自分の歴史の中で繰り広げられたことは全て、この自分を「幸いにする秩序を作り出す(神様の)働き」だった。無秩序と思えたことも、逃げ出したいほどの辛い体験も、私に秩序をもたらそうとされた前触れだった。裁きにこれほど積極的な意味があったとは!
そのことに気づかなかったために、あらゆる不平不満に押しつぶされ、思い通りにならないことを自分の不幸と決めつけ、それを人のせいにし、その結果多くの人をも傷つけてきた。何かの本で、「ちくしょうとかクソ!とかバカタレが!などといった悪い言葉を言わない」というのがあった。「ありがとうございます。感謝致します」という言葉を口癖にしようとも。その人とは違う理由を今は言える。神様の裁き。
いずれにしろ、自分なりに描いていた慈しみの神様の裁きの概念が大きく進化を遂げた。そして、運命こそ神様のワザ、神様の使命!ボクは神様の裁きの対象!そう叫びたくなった。
今日は、主の洗礼の記念日。私たちの洗礼の意味を深化させる日。みんなが、神様の裁きのお手伝いへと呼ばれた日。
飛べない鳥もいいが、もっともっと空高く飛べる鳥になりたい。ネ