禁断の実は多くして・・・
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創世記3、1-6
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。 「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)
聖書の第一巻は創世記。天地創造に始まり失楽園、そしてバベルの塔で終わる全聖書の序章とも言われる「1-11章」の物語は、いわゆるお話とはいえ、興味深い。ボクにとって、天地創造についで興味を覚えるのが、今日の本文のいわゆるエワ(女)とアダム(男)の誘惑の物語。
グルメの通販雑誌がいくつか届くようになった。ドイツの濃厚な味をうたうフルーツケーキ。京都の和菓子。果ては北海道のカニ。いずれも、ごくりと生唾を飲み込んで注文したい衝動に駆られるものばかりだ。値段を見ては断念するのがいつものパターンだが・・・。
物の本によると、アメリカ人の70%は食べすぎなのだという。そんなアメリカの国の人が本を書いた。果物と生野菜だけのダイエットの本。
ダイエットの話になったが主題は心のダイエット?
美味しい物を食べたいのは人類共通の誘惑といえよう。女が見た木の実は、「いかにもおいしそうで、目を引き付け」、たまらずにとって食べた。まさに禁断の実に手をかけた瞬間。
時は復活祭を準備する四旬節。節制と回心が主題。
食べたいものを食べないで我慢し、わが身に鞭打つかのように克己奮励する四旬節ではなくて、もっとも今時そうする人は、厳格な修道者以外は、皆無かもしれないが、おおらかにわが身をいたわりながら、そこそこ食べたいものを食べ、生活をエンジョイしながら過ごせる四旬節は不謹慎だろうか。
これは予感に過ぎないんだが、そんな四旬節が実現するかもしれないと思っているこの頃だ。朝は果物だけ、昼夜はお皿に大盛りのサラダを腹八分。動物性たんぱく質は一切とらないで、約四十日。体重が減ったのはもちろんだが、今のところ思いがけないいい結果ばかりが出ている。ダニエルと仲間が10日間野菜だけの生活を願って、その結果が酒池肉林の生活をしたほかの若者たちより健康だったということは本当だったかもしれないと実感するほどだ。
例の本を薦めた人の報告では、高かったコロステロール値がまったく正常になっていて、お医者さんが驚いたほどだったという。体の中が浄化されていく感じがしているに違いない。自分の場合も、これまでの食生活に未練がないわけではないが、出来るだけ体に必要なものをとるようにしたいと心がけている。
一見質素な現在の食生活は、体が一番喜んでいるらしいという自分の体との出会いであり、何よりも質素どころか、常に空腹である貧しい国の人々への後ろめたさが、これまでと違う。もっとも、貧しい国の人たちには、生で食べられるような新鮮な野菜もないかもしれないのだが・・・。これまで美味しいものを十分食べることが出来る日本人の現実は、実は、飢えた人々にも分配されるはずの物をいわば、豊かな北半球の国々が横取りしている現実なんだという話を昔聞いたことがとげのように刺さって離れない。そういう意味での後ろめたさが少しだけ軽減されたように感じるのは嬉しい。
体にとっての禁断の実は多いらしい。それは、「排除でなく共生」という今年の四旬節のテーマを生きようとするときの禁断の実にもなるのではないかと思うのは無駄ではないように思う。つまり、貧しい人々との共生などということは出来そうにもないことだが、せめて口にするものを質素にすることで、飽食・肥満という飢えた人々には見せられない姿から離れて行けそうな感じはする。
とはいえ、食べたいものをそこそこ食べながらのダニエル的食生活は楽しい。
あなたはどんな四旬節を?