昇天、希望への勝利
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マタイ28章16-20節
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)
復活したイエスは、「四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(使徒1,3)と今日の第一朗読にはある。しかし、実際には、「既に父の栄光のうちにはいっていながらしばしば地上に出現していたキリストが、最後に出現し、天に決定的に帰っていったことを意味しているといえる」(聖書思想事典)のだという。つまり、復活の主は天と地を自由往来、どこに行こうとフリーパスだったわけ。
墓でのこと、ガリラヤ湖畔でのこと、エンマウスに向かう弟子たちとのこと、などなど。その日の出現の模様をおん父と毎日歓談しておられたらしい。「お父さん、今日はダレソレに会うつもりです」などと言いながら、朝、家?を出られたのかもしれない。そんな生活が今も続いていたらいいのにと思う。
いや、ご自分の代わりに聖霊を送ると約束されたとはいえ、弟子たちの時代よりももっと真剣に?御父との話は続いているのではないか。一向に好転しない世界の平和の問題はもちろんのこと、ついこの間の教皇選挙のときにも遅くまで話し合われたに違いない。いやいや、そういう大きな問題ばかりでなく、信者一人一人の問題が話題にならない日はないと思いたい。特に、最後に全てを託した弱虫の弟子たちの末裔のことは一番気がかりなこと。
子育てに負われながら子供たちとミサにはせ参じるけなげな母親、社会のさまざまな軋轢の中で誠実に使命を果たし、家庭を守り、そして信仰に生きる父親。それにもかかわらず教会離れの若者たち。深刻さを増す召命の減少。思いがけない不幸に打ちのめされている家族。ながい病から癒されることもなく希望を見出せないでいる人たち、などなど。
御父と祝杯を挙げたかと思うとため息をつきたくなる現実に、まさに悲喜こもごも。昇天の主の毎日は、地上での生活同様、相変わらず波乱万丈。天地自由往来の勝手気まま?な生活も、実際は、傍(はた)から見るほど必ずしも快適ライフではないらしい。
だからこそありがたいとも思う。昇天の主が、こうして地上に残した一人一人のことを心にかけて、何とか信仰者らしく希望の中で生きて欲しいと祈り続けておられる。そして、御父と相談しながら一番いい方法までも考えて下さるのだ。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とはそういうことではないのか。しかも、「天と地の一切の権能を授かっている」昇天の主。
そんな昇天の主と御父と、そしてあなたに乾杯!