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万事は益となる!

作成者 admin最終変更日時 2006年03月31日 10時42分

年間第17主日のミサ説教音声(2005.7.24)
音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。 

今週の聖書

ロマ8:28-30

 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)

今週のポイント「万事が益となるように共に働く」

 そんな風に思えたら、どれだけ楽かと思う。私達の問題は、しばしば、「万事がバラバラに働いている」としか思われないこと。一難去ってまた一難。ヤレヤレまたかよ!こんな風に、いろいろなことに振り回されているという被害者意識に取り憑かれてしまう。一旦そうなると、まさに、万事がてんでんバラバラに働き始めて、全くツイていない!ということになる。

 そんな私達のよくある姿の前に冒頭のみ言葉が立ちはだかる。まるで、両手を広げて通せんぼうをするかのように。いや、別に通せんぼうをしているのではなさそう。「神を愛する者たちには」という条件が付いていた!あなたが、神様を信じているなら・・・。
 そうはいっても、正直な話し、多くの信者達にとって、果たして、度重なる逆境をバネにして成長ラインを維持できているか心もとない。そういう決めつけた言い方は良くない。なんとか、目鼻を付けようと「呻いている」と言った方がいい。
 
 いわゆる物の本によると、バブルという最大の逆境を乗り越え、成長企業の名をほしいままにしているかのような偉大な経営者達はカリスマ経営者と呼ばれる。現状を分析して見通しを立てる才覚に優れているという意味かと思う。

 カリスマが「神から恵まれた才能」であると知ると、私達の父なる神は経営者の神様かと言いたくもなるが、よく考えてみると、信者は自分の人生の運営を任されている経営者のようなものではないのか。

 そうであるなら、自分の人生の運営は基本的には自分自身に任されていることになる。そんなの当り前だ!と声を上げたくなるなら、なおのこと、あなたは冒頭のみ言葉と真っ向勝負しなければならない。
「万事が共に働く。共に働く。益となるように。益となるように。ボクの益となるように。」何度も何度も繰り返し味わい続けることが第一にすべき事。真っ向勝負なので、み言葉とがっぷり四つに組む。バラバラに働き、なおかつ自分にとって不利益でしかないと思える事柄の一つ一つを思い描きながら、「万事が共に・・・」と繰り返す。これを繰り返すことで、「被害者意識」から解放されていくことに驚くことだろう。つまり、思い起こしただけで気持ちが滅入り、不利益としか思えず黒ずんで見えた事柄が、み言葉の息を吹きかけられることで次第に明るさを取り戻し、やがてメッセージすら送ってくるようになる。そして、ハッと気がついて思わず膝をたたいてしまうということも起こったりするのだ。だから、先ず試す価値があるのだ。

 現状を分析して見通しを立てる才覚とは、神を信じる者の場合、こうしたみ言葉との真っ向勝負無しには心もとない。そこが企業の経営者達と違う。飽くなき利益の追求を本命とする企業の経営者並みに、思考をめぐらすだけでは混乱の泥沼に沈むのが落ち。神の手の内を見極めるには私達の頭脳はあまりにも小さすぎるからだ。思い巡らしかつみ言葉を反芻し続ける。すると、言葉が生きて働き、呼びかける「みことば」に変わる「言霊(ことだま)信仰」の生きた体験こそ、あなたの人生に光明をもたらす。

 万事が益となるように共に働く。だから、怖いものなし。「そんな人生の経営者たれ!」パウロが檄を飛ばしている。


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