洗礼の神秘の前に・・・。
年間第21主日のミサ説教音声(2005.8.21)
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マタ16:13-20
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは言った。
「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)
ずいぶん昔のことが蘇った。
「青年の黙想会に来て欲しい。」長崎のある教会のカテキスタのシスターからの電話に戸惑いながら、出かけることにした。
「日曜日のミサ?べつに・・・。行くのが当り前だと思っていますから・・・。」
若者にとってミサは苦痛。ボクの話しの前提がくずれてあわてた。さすが長崎の若者だ!
あれから25年。子供たちに同じセリフを聞かせているのだろうか。それとも、「近頃の子供は・・・」と教会離れの次世代に頭を抱えているのだろうか。
司祭になる一年前の神学部4年生の授業は教会現場を想定した実践的なものが中心となる。
「女子高校生が洗礼を受けたいと言ったら慎重に判断しなければなりません。」
几帳面なカナダ人司祭が真面目な顔で説いた。その年頃の女の子は、憧れや情緒的な面が強いからというのが理由だった。
若い頃のもう一つの話し。
「無効な洗礼というのがあるのではないか。」そう思うことが何度もあった。「そんなことはない。どんな理由であろうと、洗礼は全て有効。神様の働きだから。」頭では分っていたのだが・・・。
「あなたはメシア、生ける神の子です。」満点の答え!
イエスは歓喜した。
「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」
小学生の時に洗礼を受けた隣のお兄さん。「神様は一人です!」「はい!」そして洗礼を受けたというあの村の人々。神父さんと友達になったので信者になったという小学校の先生。高校生の時に洗礼を授けたゆうこさん。
この30数年にわたって関わった多くのモト信者達。
「この人達はどうなるんですか?」
イエスさまは一瞬困ったような顔をされたがすぐに笑顔になり、天を指さし、やがて両手を広げて肩をすくめて笑った。それは、まるで、「受洗者の動機がなんであろうと、はたまた、信者を増やしたいという司祭の聖なる野心によるものであろうと、アンタは心配せんでもいい」と言っているかのようだった。イヤ、それだけではない。御父の働きだったとすれば、その責任も御父がご自分でとってくださるということだ。
それにしても、親は親なりに信仰伝授をやっても、何故か止まない次世代の教会離れ。思わずイエスさまを振り向いたら、やっぱり同じ仕草をされただけだった。
とにかく全て御父の働き!有効!・・・ま、いいかっ!
洗礼の神秘の前に御父の計り知れないご計画の不思議さを思った土曜の昼下がり。