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もう一つのクオ・バディス

作成者 admin最終変更日時 2006年04月04日 13時48分

年間第25主日のミサ説教音声(2005.9.18)

音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。

今週の聖書

フィリピ1:20c-24・27a

生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。21わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。22けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。23この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。24だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。
27aひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。

(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)


今週のポイント 今日のキーワードは「板ばさみ」。今、聞いたように、パウロも体験した板ばさみです。
 
 ジョナサンも直美ちゃんも「板ばさみ」、分かるね。要するに、右にするか左にするか、悩むこと。お父さんお母さんの言うことにハイと言うか、自分がしたいことや友達との約束を優先するか。悩むことがあるでしょう。この悩むと言うことが大事なんです。悩んで欲しいんです。悩むと言うことは良く考える練習をするということです。よく考えると言うのは、先ず、お父さんやお母さんや周りの人の気持ちを考えてあげると言うことです。そんな風に考えないで、自分の気持ちばかり優先するから、とんでもない事件を起こしたりするようになるんです。

 周りの人が喜ぶことならそれを優先することも大事なことです。今日こうしてミサに来たのは、あんまり行きたいとも思わなかったかもしれないが、お父さんお母さんがすごく大事にしていて、神父さんもなにやら一生懸命なので、やっぱり大事なことらしい。それで、いつも一緒に来ているんだと思います。周りの人、特に両親が大事にしていることを自分も大事にしようと自分なりに決める必要がありますが、それが本当の選ぶと言うことですが、マ、それは後のこととして、今は、そのための練習をいっぱいするときなのです。

 あ、そうそう、二人に聞くけれども、選ぶのは難しいと思うことはありませんか。洋服を買うときとか、これにしようかあれにしようか、迷うことがあるでしょう。そんな風に小さな板ばさみにあって、やっとこれにしたとか・・・。ジョナサンにとってはどう?選ぶのは、時々、ウン、難しい。そうなんです。選ぶのがどうして難しいかと言うと、これを選ぶということは、もう一つを選ばないということで、両方とも好きだから辛いんです。でも、この選ぶ苦労というか、板ばさみになって悩み、マ、洋服のことぐらいはたいしたことないけれども、自分の気持ちやしたいことと両親の考えや気持ちの間で板ばさみになって悩むことはとても大事なことなんです。これをいっぱい体験して欲しいんです。これが良く考える練習をするということなのです。

 お父さんとお母さんは時々うるさくてイヤになることがあるかもしれないけれども、でも、一人になったとき、一人学校に行くときとか、直美ちゃんはこの間一人で行っていたでしょう、あんなときとか、お父さんとお母さんが、怒ったりしながらでも、二人に一生懸命伝えようとしているその真剣な姿を考えて欲しいのです。聖書のことを良く知らなくても、そんなお父さんやお母さんが信仰のことを一生懸命大事にしている姿を思い起こさなければなりません。神父さんの場合も、そうして信仰の大事さを学んでいったと思います。

 小学生の時は、何も考えずに一緒に行くだけでいいのかもしれません。しかし、中学生は、少しづつ大人になっていくときです。大人になるというのは、さっきも言ったように、周りの人の気持ちを考えてあげられるということです。子供にはまだ出来ません。体ばかり大きくなっても自分の気持ちや自分のことばかり優先して考えるようでは、自分の成長のためにマイナスのことを練習しているということになります。

 家庭は、学校だと言われます。人生にとって一番大事なことを学ぶ学校です。一番大事なこととは、愛です。両親への愛、兄弟姉妹への愛、そして周りの人への愛、さらにジョナサンや直美ちゃんにとっては神様への愛を学ぶ学校です。中学校と家庭、二つの学校。

   直美ちゃんはバスケをやっているそうですが、練習をサボってばかりいたらレギュラーに入りたいと思っても、誰も相手にしてくれないばかりか、うまくなるわけがありません。厳しいコーチの言うことを良く聞いて、時には辞めたいと思っても、出来るだけコーチの指示に従って練習していると思います。同じように、お父さんとお母さんは、神様が下さった、いわばコーチのようなものです。そんなコーチのもとで、人生にとって大事なことを一生懸命練習するのです。
 
 毎日、大きい小さいいろんな、板ばさみを体験すると思うけれども、さっきのように、誰が第一朗読をするとか、しないとか、そんな些細なことに始まって、両親とのことなど、そのタンビに、ア、これも練習かなと思えばいい思います。そしたら、嫌々ながらするんではなくて、選んだことに、ハイ!と言って気持ちよく出来るようになると思います。それが大人の信者に成長していくということです。

 二つの学校で、毎日いろいろな板ばさみを経験しながら、神様が喜んでくださる大人の信者になる練習をつづけ欲しいと思います。

 ともあれ、今どき?の中学生たち、一体どこへ行こうとしているものやら・・・。

*昨晩のミサは一家族。祭壇少年隊隊長のジョナサンはかねてしない朗読に駆り出されたのが不満らしく、妹の直美ちゃんに押し付けたようだった。ひともめした後、隊長は、立ち上がり、まったくやる気のないふうで第一朗読。直美ちゃんが第二。苦笑しながら見守っていた僕は、果たし状のような説教をすることに。さすがに、今日の二人は集中攻撃を受けて、珍しく僕を見ながら聞いていた。おかしかった。


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