溝辺からコントゥム

梅も手書き。「落成のときは飛んできてくださることを楽しみにしています。」「聖血礼拝会修道院ができたら、又、いらしてください。」昨日発った二人のシスターからの言葉。パウロの回心の祝日のカードはことのほか分厚かった。何事ならんといてみると、全員からの寄せ書きはカードサイズの用紙7枚。

一人は新しいベトナム修道院の院長さんで日本人。もう一人は昨年終生誓願を立てたベトナム人。派遣先は、昨年クリスマスに訪問したコントゥム教区。彼女の故郷。二人での新しい歩みが始まる。ふと、若いころ憧れた、牧師さんたちがよくやるという開拓伝道を思い出した。主任司祭としての初めての派遣は種子島。ワゴン車にスピーカーを取り付け、聖歌を流しながら子供を集めたりしたことが懐かしい。

それはともかく、高齢化が進み、かといって新入会員もいない。思い余って院長さん自ら身を挺してベトナムに渡ったのは8年前。招いた第一陣は一人も帰国することなく、院長さんが「ホントに良く祈ります」と目を細めるだけあって三名そろっての終生誓願。祈りの生活を深めている。更に志願者は増え、コントゥム市のランドマーク。名前は忘れた。8名もの若いシスターたちで活気づいた修道院。そこに舞い込んだコントゥム教区からの招聘。恩返しとばかりに快諾(シタニチガイナイ)。

カナダから日本、日本からベトナム。修道会の身の軽さは、これまたボクの憧れでもある。がリラヤ地方一帯からエルサレムまで方々を歩き回って宣教された我らが創立者を思えば、身の軽さはオヤユズリ。もっともボクの場合、単に落ち着きがないダケと酷評される不安はあるが…。それはともかく、イエス様と弟子たちには、マリア・ワルトルタ著「私に啓示された福音」(天使館)によると、マリア様と婦人たちが一緒だったことになっている。お世話係がいて当然という感じはする。

記録的な寒波と大雪でキャンセルになった司祭大会。お蔭で、賄さん不在の3日間を強いられた。彼女には、せっかくの息抜きだからとキャンセルを伝えてなかったからだ。それでも、「司祭館に明か修道院建設予定地。りがついているのにたまたま気づいたから」と一日前倒しで顔を出してくれた。台所も食堂もたちまちピカピカになった。

2000年の時を隔てていても、掃除はともかく炊事に洗濯、針仕事、身の回りのことなど世話係が必要だったとは思う。もっとも、申命記には、イスラエルの民は荒れ野での40年、彼らの「まとう着物は古びず、足にはいた靴も擦り減らなかった」(29.4)とあるので、イエス様ご一行の宣教旅行は3年ほどだったとして着物も履物も新品同様だったかもしれないので、お世話係不要だったのかもしれないが。

話が、又横道にそれたが、お二人の活躍を祈りたい。修道院落成の朗報が楽しみだ。

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