1年ぶりとなる大分。博多でソニック5号に乗り換えた。いつも感じることだが、新幹線とローカル特急の乗り心地は天と地の差。かつての蒸気機関車のガタガタゴットンから一歩も出てはいなない!
文字を打つのにも意地悪されていると感じるほどに誤打が多くなる。カーソルが隣の行に飛んだりするので、文章訂正も一苦労。
飛躍するが、聖書の何章何節という節の区切りはどうして決まったか。部屋にこもって書いただけでなく、宣教活動の合間に、馬車や馬での移動中にも書いたので、振動で手元が狂い、意図しなかったところに数字をつけた。訂正することもなくそのままにした。誰かの冗談だとは思うが。しかし、ときどき、不自然な感じがするのは確かだ。
そんなことになる理由が2000年後の今、この時、よく分かる。馬車と電車の違いはあるとしても「揺れ」は変わらないのだから。ここまで書いて、気がついた。聖書は、いわば、当時のブログだった!とくに、誰よりも多くの旅をしたパウロは、寸暇を惜しんで書いたに違いない。「パウロのブログ、コリントの教会への手紙」ということにしたら、信者でない人でも、「ナニナニ…」と興味を引くかもしれない。
話は飛躍しすぎた。そうだ、ローカル特急へのグチだった。今朝の新聞広告によると、JR東海 2027年 品川ー名古屋間にリニアカーをオープン!時速500キロでもレール上を浮上して進むので振動はまったくないはずだ。そこで、また物申したい。速さを競うのもいいが、ローカル特急の振動を限りなくゼロに近づける研究もして欲しい。
ともあれ、そんなこんなで大分着10時24分はすぐにやって来た。4時間20分もかかったのに。司祭館では帰国中の司教様が待っておられた。お昼を挟んで、4時間の歓談。90歳で未だに現役の神学校院長。しかも、ローマ!「言葉が分からないので出て行くこともできず、隠遁者みたいに静かな生活ができるのでありがたい。」
それぞれ四苦八苦しながらも、8人の子供をもつ高校教師、12名の子供を育てている豆腐屋さん。子供の少ない現実を嘆きながらも、「私は信仰が受け継がれていくのを見た!」と誇らしげに声をあげられた。話題は尽きることなく、「こんなに気兼ねなく話せる司祭はいない」と喜ばれたが、心を残しながらも3時に退座。
傾聴のボランティアは恒例になりつつある?
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