パレスチナ駐バチカン大使館!
昨日届いたカトリック新聞一面の記事に目が留まった。バチカンにパレスチナの大使館ができたという記事だ。「ヘーよかったね。」思わず独り言が出た。というのも、20年ほど前、最初の自爆テロが起こったころ、エルサレムに3カ月滞在したことがあることと大いに関係している。その時以来、アラブの人々に親近感を持つようになったからだ。ユダヤ人たちはエルサレムの平坦地に町を作り、アラブ人たちは周辺の谷あいの斜面に住んでいた。一見共存共栄の平和な光景でもユダヤ人たちは少しづつアラブ人たちを隅に追いやっていると聞かされた。「今でも、エジプト脱出以来やってきた土地取得は続いていて、黄金のドームを取るまで止めないだろう」というアラブ人にも会った。
狂喜乱舞
神の都シオン(エルサレム)に帰ろうというシオニズムは当時健在で、外国からの入植者を迎えるための住宅建設があちこちで進められていた。中には、アラブ人たちの住むすぐ側に家を建て、治安維持のため警察が警護に当たると聞いたこともある。ある時ユダヤ人のお祭りに出くわした。アラブのご婦人たちが見守る中、若者たちが何やら大きな書物のようなものを掲げ、ぐるぐる回りながら踊り狂っていた。見守るアラブ人たちにこれ見よがしのパフォーマンスにも見えた。聞くと、トーラーと呼ばれるモーセ五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)を読了したことを祝ってのことだと知った。掲げていたのはそのトーラー。ともあれ、トーラーを読了したからといって、若者たちがあんなにも狂喜乱舞するものかと驚いたものだ。
和平の架け橋
バスの中でもユダヤ人の小学生たちは我が物顔にふるまい横暴で可愛くなかった。自動小銃を無造作ににかけた20代の若い兵士たちが町中に溢れ、まるで臨戦態勢の様子に緊張したものだ。しかし、どこかの村では、アラブ人とユダヤ人が共同体を作り和平の村として注目されていたが実際に行くことはできなかった。“バチカンにパレス地大使館新設”の記事は、20年前のことをまざまざと蘇らせた。それというのも、メキシコ国境に壁を築くことに署名したというトランプ大統領のことが念頭にあったからだ。これまで、豊かさを享受できずにいた人々を救済するためとはいえ、共存共栄の道を探ろうとするでもなく、どこかの独裁者のような強引さに暗澹たる気持ちになっていただけに、教皇の英断は輝いて見えた。世界平和のためのマクシムス・ポンティフィクス(教皇のこと=橋を架ける最高の人の意)を誇らしく思う。午後。今年最初のYOUCAT.
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