国民の母
「彼女はすべてのインド国民にとって母でした。」去る19日、ニューデリーで開かれたマザーテレサの列聖を祝う式典でのインド家庭省長官の挨拶。更につづけた。「マケドニアから二人の偉大な人物がインドにやって来ました。一人はアレクサンダー大王でインド征服のため。もう一人はマザーテレサでインド人の心を征服するため。インドには、宗教的差別など入り込む余地はありません。」千人余りの会衆はじめ、居並ぶ枢機卿や60名ほどの司教たちが喜びの拍手を送ったのは言うまでもない。
長官に期待
それに応えるかのように「国家になり替わりましてマザーテレサに栄誉を帰する次第であります。」カトリック側としてはこの演説の重みを誰よりも深く受け止めていた。 というのも、長官は、教会に暴力行為を繰り返す反カトリック暴徒寄りの政権の中枢にいる政治家だからだ。一億二千万もの人口のうちわずか2.4%にすぎないカトリックを排撃することに教会としては抗議をやめたことはなかった。みんなが期待したのは想像に難くない。
寛容の大学
そもそもの原因はヒンズー教徒の偏見と誤解による。長官が母とたたえたマザーテレサの活動をヒンズー教徒の最右翼は彼らをカトリックに改宗させるための方策だと決めつけたらしい。そんな主張を繰り返す狂信的なヒンズー教徒たちもこれで収まるに違いないとの期待は誰にでもあったはずだ。長官の次の挨拶に頷く人も多かったに違いない。「インドはいわば寛容の大学です。寛容なしに多様性に富んだ信仰や文化の共存などあり得ません。」
共存共栄を
だが、次のような統計があることも事実だという。反キリスト教暴力事件は、2016年前半だけで134件。2014年は1年間で147件。2015年は177件。むしろ増えている計算だ。「手放しで喜べない。信者たちはいまだに極右ヒンズー教徒を恐れている」とインド司教協議会事務局長の神父さんは現状を冷静に見据えている。それにしても、長官の演説の現実味のなさには驚くが、政治家ってそんなもの?神父さんが言うように手放しで喜べないね。一日にも早い共存共栄を。(メデタシ3回。)
*昨日配信のUCANEWSより作成。
コメント