かくれ念仏
禁制から「かくれ念仏」へ。今朝の南日本新聞文化欄の記事。「かくれ念仏洞」の写真は、住所からして諸宗教懇和会創設当初からの仲間の和尚さんのお寺の近くらしかった。いつか、かくれ念仏のことを熱く語ったことを思い出して興味を持った。ネットでもいろいろ調べてみた。仏教はなかなか複雑でにわか勉強では手に負えないところがあるが、浄土真宗の門徒たちが禁制下にありながら密かに念仏を唱え続けたものと知った。
宗教家は仲間
九州ではお隣の人吉における弾圧が1555年にさかのぼり、薩摩では1597年。解禁は1876年だから薩摩の場合は279年のかくれを経験したことになる。一方、キリシタン禁教令が出されたのが1614年で、解禁は1873年(明治6年)2月24日なので259年のかくれ。 長く暗い日々を体験した浄土真宗とカトリック。これまで以上に親近感が涌くのを覚えた。諸宗教懇和会のおかげで神主さんや和尚さんと親しくお付き合いするようになったが、悲惨な過去を思うにつけ、自由な融和の時代に生きていることをつくづくありがたいと思う。月刊誌や手書きの機関誌を毎月届けくださるのもありがたい。なるほどと頷き、心が穏やかになる記事ばかりだ。そして思う。「私たちは平和のために働く仲間。」
きんひん平和の巡礼
そういえば、いつだったか、超教派で「平和の火」を灯しながらお寺や教会や神社を巡り、平和を祈願する平和の巡礼をやったことがある。提唱者の和尚さんはその後、月一回日を決めて一人で同じ巡礼を続けることにしたと話された。すっかり忘れていたが、今朝の新聞の記事を巡ってあれこれ調べごとをしているうちにハタと思い出した。その時は「偉いなあ」と他人事のように聞いていたが、今日はいつか同行させてもらいたい気持ちが高まった。そして、ふと、かつて座禅の手ほどきを受けたとき教えてもらった「きんひん」という言葉が蘇った。「座ってする座禅に対してこれは動く座禅です」みたいな説明を受けた記憶がある。やはり沈黙のうちにお堂の中をゆっくり歩いたことを思い出した。黙々と平和を祈りながら街中を巡り歩く、これも一種の「きんひん」と言えるかもしれない。カナダのモスクで銃乱射のニュースが飛び込んだ。ついに恐れていたことが現実となってしまったか。水をさされたとはこのこと。困った大統領ではある。
コメント