思いがけないタンカンの一杯詰まった宅配は甥の嫁さん

ピンポーン!

「困った!ちょうど出かけるところなのに…ハイハーイ、今行きまーす。」慌てて階段を駆け下りてドアを開けた。子どもを連れたなじみの顔がミカン箱を抱えて立っていて驚いた。「重かっただろうに。」勤め帰りに届けてくれたのだった。

実はこのタンカン、30年ほど前、故郷瀬留の教会に赴任した時、農協から苗を購入して自分の手で植えたもの。5年後には島を離れたので管理は兄の手に渡った。管理と言っても週に一度様子を見に来る程度だったと思う。少なくともボクには肥料をやった記憶はない。

大地の底力

当時、「あんな日陰では実はならん」と友人から苦言をもらったものだ。日当たりのいいところは他人に貸していたので他に場所がなかったからだが、一本の枝はすでに枯れ、老体をさらしていて痛ましかった。にも拘わらず残る一本には実がたわわに。いじらしかった。

それだけに、なんだか申し訳ないような、気の毒なような。まさに、「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。」(1コリント3.6)。「神のお望み通り、私が育てて実らせた!」大地が声を上げているような…

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