殉教者の道のはずが
さるく博。確かそんな名称だったと思う。さるくは長崎弁で「歩き回る」意だとか。韓国人神学生たち(今は司祭と助祭)を連れて26聖人の道を歩いている時だった。「さるく博」の腕章をつけた高齢のご婦人がどこからともなく現れて道案内を始めた。道に迷ったわけではないが、「どっちだろう」と思案していたことは確かだ。そんな、僕ら一行の窮状を目ざとく察して近寄って来てくれた。おかげで、あやふやさが確信になって安心した記憶がある。
平和の母子像
黙想会の昼下がり、3時のロザリオの時間まで同じ道をたどることにした。しかし、足が向いたのは平和公園。原爆資料館前にはおびただしい数の中学生たちが。どこかの学校の、修学旅行らしかった。そんな人混みを避けて人気のない展望台へ。帰り道、やはり人気のない平和の母子像前に佇んだ。案内板の絵に思わず釘付けになった。高く積まれたマキの上に寝かされた2人の少女。原爆で命を落とした少女の火葬の様子が描かれていた。目撃者が描いたという。「…死んで初めて着せられた晴れ着、死んで初めてされた化粧、周囲の心遣いが逆になんとも哀れでなりませんでした。何と悲しいことであろうかと思いました」と解説にあった。作者は2014年4月13日、83歳で亡くなったともあった。
2つの市の花
資料館は昔入ったことがあるが、外観はすっかり別のものになっていた。中学生たちがどんな思いで戦争の悲惨さを受け止めたのだろうと思いながら車道に出た。石畳にはめ込まれたアジサイが市の花であることを知った。驚いたことに、来るときに見たセントポールというホテルの名前がクロカスのことでこれも市の花だという。2つも市の花がるというのはおかしい。ネットで調べて大発見。アメリカのセントポール市と長崎市が姉妹都市でその市の花がクロカス。「あのホテル、セントポールが聖パウロのことだと分かっていての命名?」そんな心配は無用だった。それにしても、下ばかり向いて歩いた実りの大きかった今日のサルキだった。
黙想会山場
それにしても、今日の講話、「教区司祭の霊性を求めて-孤独を生きる」の続きは、MEとの出会いに至るまでの司祭召命バクロ講話。若い司祭も多かったので気にはなったが、意外と受けたようで、大司教さんが「大変面白かった」と絶賛?いよいよ明日から折り返し。
コメント