感動訪問記

150123私たちフィリピンの人々はパパ様のお話を聞いて沢山のことを学びましたが、パパ様ご自身は私たちから何か学ばれたことがありますか?マニラからローマに帰る機中での記者の質問。教皇が答えられたのは「人々の仕草」。

熱く語られた教皇のことばから自分なりに思いを膨らませた。

表情といい振る舞いといい、そのすべてに、信仰と愛があり、家族やあこがれ、そして未来があり大変感動されたのだという。それは、外交辞令的なものではなく心からのものだったからだとも。

とくに台風被災地のタクロバンでは、雨の中にもかかわらず、集まった人々の顔から笑顔が絶えることはなく、その熱心さと、喜びの大きさにいたく感動されたという。今なお痛みや多くの問題の渦中にある人々の日常生活の厳しさを思って、思わず胸が熱くなったほどだったという。さすが人々に近い教皇。

何よりも教皇の心を打ったのは、普通なら、人目にさらしたくないはずの肢体不自由の子供たちを高々と抱き上げて祝福を願う父母たちの姿だった。そこには熱意と共に喜びがあった。“私の子たちよ”と祝福されたことは言うまでもない。

最後に教皇は、あまりにも安っぽく使われたり、悪い意味に用いられたり、誤解されたりするのだが、と言葉に気を使いながら、話されたことは印象深い。被災地の人々の“あきらめ”、「それは、災害に会ったらどうすればいいかということを知っているということであり、立ち直る力だ」と。(続く)

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