複雑な思い
一筋縄ではいいかない。中国の教会事情にはこの表現がふさわしいように思う。わずか一週間の滞在に過ぎないので当然と言えば当然だが、これまでに得た知識との整合性を付けることができないまま帰国せざるを得なかったので、こうした感想になったと思う。それだけに、現地で出会ったMEの夫婦たちや神父さんたちとの親交にはこれまで行ったどの開催国にたいしてよりも「複雑な思い」があった。それは、政府公認の教会(愛国教会)とバチカンに直結のいわゆる地下教会という二つの教会の存在があるからだ。ボクらを迎えたのは前者の方。
それでも…
こちらの司教様の中にはバチカンの認可を受けていない人もいるという。つまり、政府が認可しただけなので正式な叙階を受けていないことになる。そんな司教さんのもとで叙階を受けた司祭も正式の司祭とは言えない。したがって、彼らが捧げるミサも有効とは言えない。教会法的にはそういうことになるのだと思う。しかし、外部の者にはそんな区別は分からない。そこに、ボクの「複雑な思い」の理由がある。しかし、法的にはそうでも、喜んでミサに与りご聖体を拝領する信者たちに神様は「それはウソだよ」とはおっしゃらない。また、司祭や司教さんたちをとがめたりはしない。政治的力の前に無力な人々を神様がとがめるはずがないからだ。むしろ、今の状況を心を痛めながら何とかならないものかと静かに見守っていてくださるはずだ。そんな風な結論のもとで過ごした一週間は複雑だった。
ホントに大丈夫?
ところで、インドやスリランカ、バングラデシュは風土や人種も似ている。マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンは同族という感じ。韓国、台湾、中国、日本もやはり同族。そんな中で、中国だけが唯一共産主義国。アメリカに次ぐ経済大国とは言え、今回直接目にすることはなかったが、貧富の差が大きいと聞く。それに、なんとなく謎めいていて、常に監視の目が光っている。そんな印象もぬぐえない。そんな国でのMEアジア会議、ホントに大丈夫?というのが正直な思いだった。
だから祈る
そういうこともあって、それに宗教活動を禁じているお国柄だけに、ミサに要するものを一切持参するのを断念したというのに手荷物検査もなく、スイスイ入国には気が抜けたほどだ。結果的には中国MEがすべて用意していくれていたので持参する必要はなかったのだが。それに、開式のミサもなんの妨害?もなく会期中もこれまでと全く同じスムーズさで議事進行がなされた。ほかの国との違いと言えば、唯一、食事の豪華さと豊富なメニュー。本場の中国料理を五日間も満喫できたこともあって参加者は誰もが大満足で帰国の途に就くことができた。それにもかかわらず、ボクの中には手放しで喜んでいないこだわりみたいなものがいつもあった。冒頭で述べたことがそれで、そのことが中国MEの仲間や教会のための祈りとなっている。
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