「混沌から調和へ」何度同じテーマで話したことだろう。今回もやはり同じ。

聞き耳を立てるミサ

聞き耳を立て目を凝らして警戒

聞き耳を立て目を凝らして警戒

1984年からの2年間だけザビエル教会の助任司祭を務めた。初めて日曜日のミサを司式した時のことだ。聖書朗読の間、信者たちが一斉に下を向いて顔を上げようとしない。聖書と典礼を読んでいたからだが、当時は、すぐにはぴんと来なくて、みんな具合でも悪いのかと思ったほどだ。「信者たち、どうしたんですか?」隣の主任司祭に聞くと、「いつもこうなんだけど…」怪訝そうに答えた。それというのも、マニラで7カ月の研修を終えた後の復活祭後の1か月間、北部の山岳地帯でミサの奉仕をしたときの信者たちの姿とあまりにも違うことに驚いたからだった。聖書が読まれると、信者たちは一斉に顔を上げ、目を輝かせて朗読者を見つめる。

読まないで聞く

帰国してしばらくは、「耳の不自由な人は別ですが、そうでない人は読まずに聞きましょう」と呼びかけたものだが、テーマにはなかった黙想会の二日目の昨日、久しぶりに何度も同じことを呼びかけた。34年後の今でもミサの雰囲気は当時のままだったから。いや、中には、読まずに聞き入っている信者はいるということだが、大半は読んでいる。ここだけでなく、おそらく日本中のミサが同じではないか。便利で愛用しているが、聖書と典礼の功罪、悩ましいところだ。

天寿を全う

飛び立つところが撮りたいのに!

飛び立つところが撮りたいのに!

いつものことだが、調子に乗ると早口になってしまう。聞き取ろうと耳を傾けているお年寄りが目にはいって申し訳なかった。いつになったら、落ち着いてしっとり話すことができるようになるのだろうとは思うのだが、いっこうに治らないのはナンデカ。それに、信者たちを前にすると、なぜか、楽しくなって話が脱線してしまう。昔話が多くなるのは、悔しいが、年のせいに違いない。それでも、一対一で話ができる赦しの秘跡はそんなハンセイを払しょくしてくれるクオリティータイム。最後の人が小部屋を出たのは1時過ぎ。ザビエル教会での初めての黙想会ミサは、外国からの参加者もあったという鹿児島マラソンに劣らず?韓国からの信者さんもいて盛会。

 

アオサギが帰ってきているというので、午後遅く確認に出かけた。のんきにブログを書いているところに「7時半田辺神父さん帰天」の訃報。92才、天寿を全う。昨晩の緊急連絡に泉神父さんが駆け付けたのだが、やはり。神父様安らかに。

ミサ説教音声

 

 

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