電話で祈る
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何度でも見せたい自慢の庭
「奄美で大きなことがあったそうですね。少し話してください。」毎週木曜日午後8時半~9時(サボリが多いのだが)30数年続いている電話で祈る会が終わって受話器を置こうとしたら主宰者のキッペス神父さんから呼び止められた。4月1日の復活祭のことだとすぐに察したのでかいつまんで話した。「野外ミサで奉納されたのは地元で採れた野菜や大きな魚などでした」と。「大きなプレゼントですね。」”日本の教会では聞いたことのない出来事で、すばらしいこと。そんな典礼がほかでもなされたらいいのに。とても参考になる話です”という意味で”プレゼントになった”ということかと勝手に理解した。
ミサの原風景
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入園式での年長さんは風格に満ちて
ボクとしては、30数年前、フィリピン北部の村でミサをしたときの体験があるのでごく自然に「生の奉納物」を受け取ったが、初めて聞く人にとっては衝撃的だったのかもしれない。ボクの場合、あの時は衝撃的だったというよりも「これが本当の奉納だ」とむしろ感激したものだ。奉納された米や豆類、それにバナナなどは司祭が持ち帰ることになっていて、片道4時間の険しい山道を数人の男性がバスの乗り場まで運んでくれた。神学校で「司祭は本来祭壇で上がるもので生活する」とはこのことかと、ミサの原点に立ち会えたことに心躍らせた記憶はいまだに生々しい。中には、ススキの穂でできた箒もあって驚いたが、その人なりの尊い奉納だ。そんなミサの原風景にいざなう生活感に溢れたミサが奄美でできたという喜びは大きい。
無難な船出
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総会後のサークル活動募集
ところで、今日は、32年前に赴任した吉野幼稚園で2度目となる園長職の仕事始め。年度初めに開かれるPTAの総会だ。総会と聞けば赴任したばかりのときのことが鮮明に蘇る。当時は、物申す雰囲気があって、つまり幼稚園に対する不満が鬱積していたようで、「エンチョウ!降園後の園庭解放ナゼしないのですか…。」まるで国会議員の「ソウリ、ソウリ!」を思わせる追求派のお母さんにはタジタジしたものだ。しかし、あれから30数年、今日は拍手に次ぐ拍手で異論なしで平和そのもの。少し身構えていただけに安心した。とりあえず、無難な船出と言っていい。
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