ボクはやっぱり小教区司祭なんだと一人頷くこの頃

みんなの不安は消えただろうか

「大丈夫ですか?」来た当初、立て込んだスケジュールの説明を受けている間に何度も口にした信徒代表の言葉に、少し苛立ちながら頷いたものだ。それもそのはず。前例のない高齢司祭の赴任に面食らったに違いないのだ。「大丈夫かな」と危惧したのは当然だ、と今は思う。

あれから大過なく3か月が過ぎた。信者たちにしてみれば、初対面の物珍しさ?から次第に日常になりつつあるに違いない。ボクはボクで、名簿片手の家庭訪問もしなくなって様子見に。

先日は父が、ありがとうございました

「えっ、あなたの父上?」一週間前、ご聖体をもって訪問した入院中の信者が父上だった!4月の家庭訪問で最初に出会ったのが彼だったのでミサ後はにこやかにあいさつを交わすだけだったが、思いがけないことで今後は父上をめぐって立ち止まって言葉を交わすことが出来る。

点と点がつながっていく、小教区司祭のだいご味の一つだ。来週のミサが楽しみだ。

ツナ…さん?

大熊教会では聖体拝領が一通り終わったら座席まで行く。昨日はいつもの方に上げて気が付いた。見慣れた人がもう一人。思わず声をかけた。すると、コックリ頷かれた。

最近、レジオのみなさんとご聖体を持っての訪問が始まった。訪問の度に暑い部屋でのお祈り。手厚い介護を受けいる様子でないことに心を痛めていた。それに、ミサに招いたことは一度もない。だから驚いた。今度会うときは「どうして?」と聞きたい。

驚いた理由はもう一つある。ミサ後、早速聞いてみた。「息子さんの車で?」「いや、一人で。」手押し車で来られたということだったが、いやビックリした。教会までは、500m弱とはいえ緩やかだがずっと登り。それに、バス通りもある。89才なのに!シマのお年寄りは元気!

こんな日常が楽しい。

謎が解けた!

この種が球根の元だったとは!

この種が球根の元だったとは!

夕方の草取りがお愉しみの一つ。おかげで、聖書の庭もすっきりしてきた。しかし、あのキイロタマスダレ、植えたはずもないところから芽を出すことが不思議だった。通りかかった信者のご婦人に聞いてみて驚いた。花の後に種ができるのは知っていたが、この種が風に乗って其処らじゅうで発芽するのだという。なるほど、それで解けた。

砂利だらけでも平気の平左

砂利だらけでも平気の平左

なんということだ。球根の花は球根で増えるのが常識ではないのか。ユリにしろフリージアにしろ球根でしか増えないぞ!思わず叫びたくなった。今分かった。無数に出てくる小さな小さな球根の出生の秘密が。これなら植栽の手間が省ける。黄色い聖書の庭。他の草は認めないぞ!

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