思い込み
ボクは若い頃から思い込みが強くて失敗したことがいくつかある。そんな苦い体験を思い起こさせてくれたのが、今日目にした某教区の教区報の「強いられた休暇」というタイトルの囲み記事。休暇にはレジャアーとルビが振ってあって著者名を見ると、なんと神学生の頃良く耳にした有名な先生ではないか。昔の著作からの転載らしいと勝手に思ったものの(00教会信徒)と所属教会名が書かれてある。半信半疑ながら記事に目をやると、話題はまさに今のこと。失礼だが教区報にしてはなかなか読み応えのある文章だった。やっぱり同一人物らしい。しかし、それにしても・・・。念のためウキペディアで調べてみると、「1928年11月27日 – 」とあった。やっぱりそうだったか。これ以上はいうまい。
先月の失敗
ユーキャットで奄美に出かけたときのことだ。姪の車を借りて古里にドライブ。子どもの頃父に連れられてよく行っていたビワ畑は見る影もなく、それでも懐かしいので車を止めて散策することに。畑の側を流れていた川が深く掘られて橋が架けられたのはもう20年以上も前のことになる。そのころから、古里の山や川や野原がどんどん姿を変えていった記憶がある。穏やかな古里の春の日差しの中を遠くから聞こえてくるアカヒゲの声に耳を澄ましながら歩いていると、後ろから軽トラがやって来たので道を空けた。みると、運転していたのは昔からのなじみの顔。「アヴェナンドゥアリンショッカナ!」思わずシマグチ(方言)が飛び出した。「オヤマーあなたでしたか!」が日本語訳だが、これでは味も素っ気もない。ともかく、昔のことなど親しい会話ができたまでは良かったのだが、ポロッと出た言葉が余計だった。「00ニイサンダカ天国チぃモシャレィバトゥディンナサナリョティヤー」(00兄さんも天国に行かれて・・・)。昔と同じにこやかな顔で「入院ドー。ミンヤツィントゥキカンチョー。」シマグチを解さない人でも最初の二文字だけで、ボクの驚きと狼狽ブリを想像するのに十分のはず。このことについても、これ以上は言うまい。
タイムスリップ
司祭叙階前の夏休み、助祭として派遣された某小教区でのことだ。畳敷きの広い集会室でお茶をしていたときのことだと記憶しているが、小学生と一緒に座っていた正面のご婦人に親しく声をかけた。「お孫さんですか?」「娘です!」予期しないナントカの一刺しに面食らったが「あーすみませーん!」ぐらいでその場をつくろったものと思われる。詳細は記憶にない。その後も数多くの思い込みによるアヤマチはあったと思われるが、なにしろ失敗第一談(弾)となる記念すべき?体験だけに50年近くも記憶に突き刺さったままなのだ。指宿に来てからもあるのだが割愛する。
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