レヒナ神父さん安らかに

手作り祭壇。1934年11月14日、西ドイツ生まれ。25歳で司祭叙階。4年後の29歳で来日。1963年11月21日のことだ。飛行機ではなく船。3年後には谷山小神学院院長就任。谷山に小神学校があったことを初めて知った。略歴をたどっているといつの間にか自分の司祭職の歩みと重なった。神父さん37歳の時、すでに管区長。1972年3月20のこと。なんとボクの司祭叙階の日。

そして、37歳といえば、ボクが初めて主任司祭として種子島に送られた年。カリスマ的なイタリア人宣教師のあとを引き継いだ一人での5年、さまざまなことが走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えた。教会2階に下宿していた5人の高校生たちとのこと、教会学校の子供たちとのこと、ある時から教会の一角に住み始めて5年後のあるプイといなくなった不思議な青年の話、その後の生き方を大きく変えることになったME体験。数え上げたらきりがない、種子島での5年は波乱にとんだボクの小さな出エジプト。

おっと、話は僕の追想ではなかった。ともあれ、どこに向かって進めばいいか右往左往していた時、レヒナ神父さんはすでに管理職。その違いにも今更ながら驚いた。驚いたといえば、小教区訪問で案内された「木想の家」に、思わず「エーなんですか?!」中に入って「あ、なーるほど!」未完の木彫りのマリア様があったり、注文の祭壇用の木材が詰まれてあったり、彼の小さな工房だったのだ。

自然の木が好きで、鹿児島の教会の祭壇の多くは彼の作品。ちなみに、司教専用聖堂の祭壇も彼の製作。

たくさんの思い出を残して今年の2月24日帰国。2カ月半後の去る4月7日、父のもとに凱旋。もう少し話を聞きたかった。

 

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