自由二題

何度自由を叫んでも政府は知らんぷり?改めてわが身の自由を思った一日だった。30年前、ここカテドラルの助任司祭であった当時、自宅で会ったことのあるケンちゃんが逝った。歩くこともなく、話すこともできず、40年間介護を受けて育った。その後、母上ともども洗礼を受けたと聞いた。復活祭に母上と久しぶりに再会した。横になっているケンちゃんを見ながら、「この子は私たちの太陽です」と言われた母上の言葉を忘れない。

あれから30年、地上での30年苦労を重ね、最後は十字架上で身動き取れない三日間を体験された復活の主の歓迎を受けながら、41年にわたるベッドでの労をねぎらってもらっているに違いない。そして、やっと手に入れた自由を謳歌しながら、御父のもとで文字通り輝く太陽となって、天使たちと天国の花園を駆け回っているに違いない。いや、この26日で42歳、もう子供ではない。御父のもとで来し方を思い、御父の不思議な計らいについて天国の仲間たちとしんみり語り合っているのかもしれない。告別式。会衆に紛れて、手渡されたカーネーションを一輪捧げた。ケンちゃんまた会う日まで。

歩き回り、走り回ることが当たり前のボクにとってケンちゃんの41年は想像できないが、海の向こうでは、戦火にさらされているわけでもないのに、しかも、五体満足にもかかわらず不自由を強いられている人々がいた。

パキスタンに住むキリスト教徒たちはイスラエルへの巡礼ができない。「このパスオートで世界中どの国でも行けます。ただしイスラエルを除く。」一方、イスラエルにとって「パキスタンは敵国であり、イスラエルの、この国への特別の許可なしの渡航は禁止」とされている。イスラム教徒たちはメッカの巡礼ができるというのに、キリスト教徒はなぜ聖地に行けないのか。連日のデモにもかかわらず見通しは立たない。5月11日配信のUCANEWSより。

経済成長で豊かになったパキスタンのキリスト教徒にとって、カトリック、プロテスタントを問わず、イエス様の生誕の地はやはりあこがれ。ここにもわが身と遠く離れた現実があった。「外国人にとって住みたい国の一番は日本なんです!」80歳過ぎても今なおフランスを中心に講演活動現役の磯村さんの話に「ホントー?」とは思うが、いろいろあるが「ホントーかもしれない」。この自由さは何ものにも代えられないから。

夕方、野草たちも咲き終わった模様なので、聖書の庭の除草。明日まで。

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