中高生11名に大人2名の合計13名の堅信式。主任司祭にとって、堅信式を済ますと司牧の一つの山を越えたような感じになるものだ。目の届くうちに堅信をというのは主任司祭共通の思い。
高校卒業前に堅信を済まして送り出すというのは主任司祭にとってのいわば至上命令。中学生にもなると部活や塾で準備に時間を割くのも容易ではない。
「神父さん、僕たちも忙しいんだぞ。週三回、学校から帰ったら塾に行くんだから。」教会学校をさぼらないようにと教育的指導をしたときの子供たちからの文句のような応答に驚いたものだ。最初の赴任地でのことだから43年も前のことになる。故郷奄美の子供たちにも都会の受験競争の波が押し寄せはじめていた頃だ。
そして、今、当時の子供たちが親となり、主任司祭ともども塾や部活に明け暮れる“忙しい子供たち”の堅信式の日取り設定に苦慮する。その点、明光学園を小教区に擁する大口教会としては学園の協力が得やすいだけに主任司祭としては大変やりやすいはずだ。13名のうち8名までが明光生。しかも、今日もそうだったが、普段の日曜日のミサに、洗礼を受けていない生徒が5,6名は来るそうで、主任司祭はもちろん教会にとっても明るい希望だ。「明光がなければ…」という主任司祭のことばには実感がこもっていた。20年前、教会学校の子供だったお母さんにも会えた。
ミサ後の手作りちらしずしパーティーはアットホーム。育ちざかりの子供たちには好評でお変わり続出に嬉しい悲鳴の婦人部の皆さんは大わらわ。
会食も終わりかけた頃、86歳という元気印の信者さんが近づいてこられた。「12歳で聴力を失ったおかげで、15歳で死ぬこともなく(徴兵検査を免れたということらしい)、今まで生きています。ザビエル450のとき受洗。神様のなさることは分からない。あと35年の500年祭まで生きたい。司教様も一緒にね。」終始、相好を崩しながらの証に頷いてばかりいたが、最後のお招きには一瞬たじろいだ。
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