足元からの参加者ゼロ

100周年を記念して建てられた鐘楼
御心教会、笠利教会からも司祭と共に駆けつけてくれる人たちがいた。それに、マリア教会からは司祭が一人。なぜか、我が大熊小教区からはゼロ。どうして?自問して気が付いた。事前のお知らせをしなかったことに気が付いた。
和光園のミサを済まして駆けつけて司式したミサだったが。来年は気をつけよう。

村の共同墓地の一角に眠る神父様のお墓。ミサ前に墓参。その後ロザリオを捧げながら教会に向かい、記念碑前で最後の一連を捧げてミサ。
今回新たになったこと
参加者の一人の友人がブイジュ神父様の故郷の近くに住んでいるとかで、ミサ後、神父様についての資料が配られた。自動翻訳機による翻訳らしく、意味が通らないところが多く残念。なんとか原文が手に入るようにしたい。それでも下記の事柄が判明した。
神父様の父親は町の靴屋さんだったこと。神父様は四年間大学でも教えた優秀な人だったらしい。1892年、パリ外国宣教会に入会。ちなみに、その前年の1891年はフェリエ神父様が真美に上陸された。神父様は、大きな体に似合わずとても気の小さい所があったらしい。
いただいた資料では次のようになっている。「ヘラクレスのように彫られた体の外側の下に、M.ブイジュは背が高く、臆病な子供の魂を隠しました。」
新たな課題浮上
参加者のご婦人は笠利に住んでいる移住者のようだった。彼女を通して原文を入手出来たら正確な情報を手にすることが出来るので楽しみだ。忘れかけていた10数年前訪問した神父様の故郷がまたよみがえった。来年のブイジュ祭は一味違うものにできたらいいのだが。
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