世界家庭大会の最終日の9月27日、聖カロロ・ボロメオ大神学校での司教たち向けの講話は家庭についてであったが、冒頭のあいさつに続いて取り上げたのは司祭たちによる幼児性虐待についてだった。
「小さく弱い人たちに対する優しい心遣いを託されている人々がそれを踏みにじるような行為で深く傷つけたことを本当に恥ずかしく思います。残念でなりません。神様も嘆いておられます。こうした犯罪を二度と隠したりするようなことがあってはなりません。こうしたことが起こらないように教会として鋭意努力し心にしっかり刻み込んでおきたい。それにしても、犠牲者のみなさんが名乗り出ることで希望を告げ、いつくしみの行使者になってくださったことをお一人お一人とご家族に対し、その勇気に、また性的虐待という悪徳にキリストの光を注ぐことになったことに対して感謝の気持ちでいっぱいです。こういうことを申し上げるのは、ここ、フィラデルフィアの地で、子供の頃性的虐待を受け、大司教さんの援助の元特別の世話を受けて救助された皆さんと先ほど会ったばかりだからです。皆さんにもお話した方がいいということになったわけです」(聖座から今日配信された冒頭の英文私訳)。
教皇は、家庭を神様の創造の業の最高傑作と位置づけ、喜びのうちに神の祝福を確かなものとする場ととらえておられる。だから、教会は、日々、世界中で、苦難の最中にあっても信仰に踏みとどまっている多くの家庭を神からの賜物として喜ぶことができる、としている。で、この変転する時代におけるもっとも大きな挑戦は家庭が賜物であるという点を明確にすること。目の前の障害物を見るにつけ、感謝と正しい評価が不安や不満を凌駕するのでなければならない。賜物だからだ。
そのためのもっとも根本にあるのが家庭であって、教会と、最後の日に家庭(アダムとエワのこと)を祝福された神の創造の業との間における契約の場としての家庭。家庭は契約更新の場。信仰が日々新たにされる中心。だから、家庭なしに教会も存在しえない。今日の社会で起こっている前例のない変化は信じる信じないに関わらず、私たちすべてに影響を与え、キリスト信者も例外ではない。教会の信仰と婚姻の秘跡の恵みという二面からの理解を持つことでこの変革の時に無関心であってはならない。
*忠実な訳ではない。個人的解釈も多々。(続く)
コメント