2つの傷

ラバン仮聖堂内部 それでも!Blog

末広がりのアン一家。昨日のアン神父さん宅での昼食会後の兄上によるギター演奏。曲目は「母の心」。母の心は大海原のようという意味のポピュラーな歌だという。拍手が済んで「すごいすごい!…」の歓声に突き動かされたかのように2人の妹さんが飛び出してきた。同じ歌を2人で歌いたいということでまた一段と歓声が上がった。

兄上も気合を入れ、「イチ、ニイ、サン、ハイ」と言ったようだった。2人がはじかれたように歌いだすと場内の拍手が止み、一斉に聴く体制に入った。そして、みんなウットリするはずだった。しかし、「…ウウッ!」というメロディーではない音に、音声収録中のケイタイから目を離して顔を上げた。2人は顔を手で覆って嗚咽。アン神父さんの目も赤くなっている。楽しいはずの演奏会が一瞬お通やに変わった。演奏中の兄上まで涙を抑えながらギターから手を離した。演奏中止。

楽譜なしでどんな曲にでも対応できるギタリストの兄上。しかし、目の前の母上は、周りがどんな風にその場を取り繕ったものか戸惑い100%の中にあって、涙を拭くでもなく泰然自若。凛として母は強し。神父さんの叙階式の初ミサで、前に腕を組み背筋ピンで聖体拝領の列に立たれた時の10年前の姿が蘇った。後で聞くと、「母の心は大海原のようにどこまでも穏やかに漂う〜で、ウウッ!となった。」ベトナム戦争の記憶が未だに鮮明に残る家族にとって、戦中戦後の厳しい生活の中での母上の苦労もまたそれに劣らず子供たちの脳裏に深く刻まれているに違いない。深い絆の裏に深い傷が秘められていたことに心が痛んだ。ボクも思わず「ウ、ウッ!」

戦中戦後に受けた傷といえば、聖職者の中にも違う形で癒されないまま残されていることに気がついた。両手のない森の中のマリア様を巡っての2人の司教様の感想は真逆。ニャチャンの司教様は「戦時中のことが甦るので好きではない」とキッパリ。しかし、現政権とはウインウインの関係らしい。クリスマスには副市長さんが司教館に
1870年、迫害かのフエで200名余りの信者にマリア様が御出現され、多くの癒しをなされた。挨拶にこられた。クリスマス夜半のミサの4000人もの参加者による交通渋滞にも警察が自ら整理に当たる。司教さんとしては「それが彼らの仕事だから当たり前」と涼しい顔。「教会が盛んなところでは社会的な問題もなく安泰」と警察は高く評価。

一方、コントゥム教区の司教様は「強い」ので「政府の許可が得られないのでマリアセンターの整備が進まない」という問題に直面しておられる。それでも、御摂理修道会修道院建設計画は着々と進んでいる。したたかというか、抜かりなくというか、対照的な2人の司教さんの生き方は興味深い。ベトナムの教会の微妙な生き方は部外者の日本人にはコメントの資格はない。

古都フエは2回目。記憶が定かでないが、12,3年前だったように思う。目的はラバンのマリア様巡礼。当時の面影はなくすっかり新しくなって、さらに進行中だった。当時はなかった巡礼者用仮聖堂で、同行のアン神父さんの甥と姪御さん四人でのミサは両言語で静かに捧げられたが、四人が静かに歌う聖歌は心に沁みた。好きになりそう。

夕食は、河畔のレストランでクリスマスワインパーティ。

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