それぞれの歩みを重ねて幾星霜、深いシワに包まれた友の顔はそれでも輝いていた

三六会喜寿の祝い

古仁屋(こにや)漁港にある海の駅にて

古仁屋(こにや)漁港にある海の駅にて

三六会(さんろくかい)つまり、昭和36年卒業の同窓会をこう呼んでいる。10月14(日)開催の案内が届いたのは引越しが決まって部屋の整理が始まった8月半ば頃だったか。たまたま、部屋を訪れていた親友夫婦と「行こう、行こう!」その場で格安の航空券を手配した。喜寿の祝いを兼ねたものだと親友に聞いて分かった。スマホで調べると、喜びの草書体が七を3つ重ねた形で七十七と読めることに由来しているという。祝いの色というのもあって紫がそうだという。なぜ紫なのかは書いてなかった。喜寿を祝う習慣は江戸時代に遡るというから、日本独特の文化らしいことも分かった。

100才時代

荒波にもまれてみんな丸くなっていた

荒波にもまれてみんな丸くなっていた

ともあれ、全国から馳せ参じた仲間は総勢66名。卒業以来初めての再会となった友人の一人は、一瞬判別できないほどの変貌ぶり。お互いにそうだが、張りのあった顔には深いシワが刻まれ思わず息を飲んだ。「悠々自適?」「イヤイヤ、まだ働いているよ!」高校時代、成績優秀だっただけに想定外の返事に驚いた。「どんな仕事しているの?」思わず聞き返した。都内のデパートを中心に奄美の物産展示販売だということだった。大変そうだったので、「代わりの若い人はいないのか?」と返しのだが「元気なうちは働きたい」ということのようだった。「100才時代」と言われるようになったが、彼はすでにそれを地で行っているのかもしれない。昔の笑顔が戻った時、確かに輝いていた。

輝く仲間は文字通り喜寿

年取るとみんなハートフルの和気藹々

年取るとみんなハートフルの和気藹々

「ワントゥジダカ 教会アッチュンド」(ワシの妻も教会に通っているよ)。クラスが別で口も聞いたことのなかった仲間の一人が親しく声をかけて来た。先日、突然、父の元に召された大松神父さんの追悼のミサにも行ったとも教えてくれた。教会と無縁だった仲間が結婚によって教会が身近になった。スポーツ少年団の指導にあたっていると語る彼の日焼けした顔も輝いていた。信者予備軍の彼とはもっと話したかったが余興が始まり司会者の大声に妨げられた。9時閉会。明けての今日はパークゴルフの予定だったが、雨天のため中止。骨休み。届いたばかりの「喜びに喜べ」(教皇フランシスコ)を読む。

 

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