原稿を読まずに語れる首脳を、日本人がいつまでたっても選ばない

のは何故か?と続く。毎日新聞デジタル版より。

原稿読むから人気が落ちて?首相推薦者が落ちた?

原稿読むから人気が落ちて?首相推薦者が落ちた?

そうそう!とまず言いたい。現役時代、中学校から大学まで卒業式には声がかかった。当然祝詞を述べるのだが、原稿にしたことがない。メモはテーブルに置くのだが、それも気休めでほとんど目にすることはなかった。

校長先生や学長さん達、その他の来賓はいずれも格調高い原稿を読まれる。そして、原稿はテーブルに残される。あれはその後どうなるんだろうと何時も思った。学園の公文書館にでも保管されるのだろうか。

それはともかくテーマに戻ろう。そうそう、「原稿を読まずに語れる首脳」を日本人が選ばないのは何故かという問題。ひと言で言えば文化の違いではないのか。乱暴な言い方をすれば、私が大事な文化とみんなが大事な文化の違い。

言いたいことを言う文化では基本的に原稿はいらない。しかし、みんなが大事な文化ではみんなに分かってもらわないと困るからきちんと原稿にする。農耕民族のDNAを持つ日本人はみんなが大事。一人では田植えも収穫もみんなの力が必要。

今朝の朝焼け

今朝の朝焼け

「今日のクラスはどうでしたか?」「とても良かったです。」「どうして?」「え?あ~ま~新しい熟語を学んだからです。」「それはよかった。」先生はやっとにっこりしてくれた。30数年前の体験だ。

それ以来感想を聞かれたら、なぜなら、と応える用意をするようになった。これが自分の言葉に責任を持つということになる。小学校からこの訓練をもっとしたらいいのではないかと思うのだが。

イベントで感想を聞かれたら「楽しかった」で終わる子が大半だ。「何が一番楽しかった?」と聞き返すレポーターもいたりするが。何が楽しかったのかもう少し自分の言葉で話せる子が増えたら原稿なしで話せる首脳が生まれると思う。

 

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