花見日和の受難の主日

エルサレム入場

聖堂裏でとれたソテツの葉で枝の主日

聖堂裏でとれたソテツの葉で枝の主日

ついにというか、やっとというか聖週間が始まった。主任司祭入院のため急きょ主任司祭代行で「主のエルサレム入場の記念」を司式。「代行じゃないでしょ。聖週間ぐらい司教さんがするのが当たり前。」主任司祭のヒトコトが聞こえてきそうだが。「ヘブライの子らはオリーブの枝を手に持って、主・キリストを迎え、喜びの声を上げた。天には神にホザンナ。」聖歌隊の正確な先唱に導かれて、鐘楼前から十字架先頭にしずしずと階段を上がり聖堂へ。カテドラルらしい重々しさだ。

信仰宣言を歌う

答唱詩編だったか、「わたしの神、わたしの神、どうして私を見捨てられるのか。」受難の主日にふさわしい。ふさわしいといえば、詩編先唱者の声の雰囲気も情がこもっていて素晴らしかった。「聞いて黙想する」ことができた。信仰宣言は「ニケア・コンスタンチノープル信条」が歌われた。信仰宣言と言ったが、信条の場合、宣言というには長すぎてこれまでの短いのとはずいぶん趣が違う。それでも、信条の方がやはり響きもいい。信条しんじょう、心情しんじょうと音が同じで、心情の吐露という感じで宣言よりも響きがや柔らかくていい。全く個人的感性で意味はないのだが。

輝く子供たち

仲良し6人組。教会は思い出の場所。

仲良し6人組。教会は思い出の場所。

ミサ後階下に降りて、いつも立ち寄るお茶のコーナーには寄らずに、大事な話をしようと壮年の一人と無人のホールに入った。声をひそめて話し合ていると、数人の子供たちが駆け込んできた。しばらく追っかけっこをしていたが、やがて見えなくなった。一通り話がついて外に出ると、先ほどの子供たちが壁にもたれて一休み。走り回ったのでさすがにくたびれたらしい。卒園したばかりの子供たちと2年生に上がる子供たち6名。手放しでかわいい。「ネットに上げてもいいですか?」隣にいた子供たちのおばあちゃんの一人に聞いた。「どうぞ。親たちも喜びます。」

説教音声

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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