教皇は上から目線?
懇意にしている司祭から久しぶりにメールが届いた。添付の文章は年何回か発行しているという小教区報の原稿。冒頭の書き出しが、「自分もこのような上から目線の言葉をもらったことがある」だったものだから、思わず笑ってしまった。「言われて見れば、確かにそうだな」と同意したものの、あの教皇に上から目線は全くそぐわないだけでなく、「寄り添う教皇」のイメージが粉砕されたようで、ボクの思いとの落差があまりにも大きかったからだ。うちの職員には、同じ言葉に感動した信者でない先生もいるというのに。もっとも、教皇を批判したかったのではなく、かつて聞いた電話の向こうの司教さんの言葉と、教皇の言葉が全く一緒だったことを言いたかったらしかった。
ポスターの真意は?
年明けの後半に行きたいということなので上述の感想など話して、二人で盛り上がりたいと思っている。それにしても、「あなたに、話がある」は、確かに唐突な感じはする。どんな雰囲気の中で話されたか全く分からないので、ポスターで見たときは、違和感がないわけではなかった。しかし、「個人的な出会いを多く持って、面と向かって親しく話をしたい」ので「あなたに、」となったのかと理解していた。この間の主日のミサでもそのように話した。「私たちも教皇にならって・・・」と結んだのに、なんとなく水を差された感じは否めない。再会が楽しみではある。
待望の遊具
さくら組さん(2歳児)さんもジャングルジムに上がろうとしたり、危険だということで、かわいい遊具を注文した。ついに納品となったので、お昼過ぎ、子どもたち同席のもと祝福と安全祈願をした。早速使い始めとなって、先ずは本命のさくら組さんから。「今日はみんなで試してみますが、いつもはA、Bさんは使いません。」さすがに、A、Bさんの中には「のらない!」と胸を張る子も。さすがに、さくら組さんは喜びをかくさなかったが、先生なしにはやはり心もとない。気を付けなければ。
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