またまた遠い国の話になるが、やっぱり深くナイワケがあるんです。

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そしてまたも昔話になるので気が引けるのだが

確か、1977年だったと思う。当時ボクは鴨池教会の助任司祭。多くの若者がミサ後司祭館に集まって主任司祭を囲みコーヒーを飲むのがお決まりのコースになっていた。情報交換や四方山話と楽しい交流のひとときだった。

復元されたイエス様時代の舟

復元されたイエス様時代の舟

ある日、東京から移住してきた若者が学生時代スイスにスキーに行ったという話をした時のことだ。「ウワーすごーい!いきたーい!」若者の行動は早い。まもなく青年会主催の聖地巡礼が企画された。一行15人ほどだった。

北京経由でインドのどこかによっての長い旅だった。印象深かったのはいわゆるエルサレム旧市街がムスリム地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区と4つに分けられ、各住民がきちんと住み分けていることだった。

旧市街(城壁の中)から見たゲッセマネの園入り口に建つ教会。

旧市街(城壁の中)から見たゲッセマネの園入り口に建つ教会。

沢山あるのだが一つだけ記すことに。私たちは行って、そして見たのだ!なんと、イエス様の足跡を!ご昇天の時、イエス様が岩に立ってヨイショッと飛び上がったときについたのだという。足跡のような大きな凹みがあって皆で笑った。

この黒い部分が「おそらく違います」

この黒い部分が「おそらく違います」

さても聖地は伝説の地かと。もう一つだけ。カファルナウムの会堂跡での解説。「ここの黒くなった基礎の部分はイエス様時代のもと言われています。」一同が「フーン」と近づいたときのことだ。「しかし、おそらく違います。」一同「ガクッ!」ガイドは地元の大学で聖書を勉強中の日本人学生さんだった。

チャッカリシラサギ

チャッカリシラサギ

あ、どうしてこんな話になったかと言えば、朝日デジタルで目にした記事がパックンというアメリカ人評論家?のもので、取り上げていたのがイスラエルとパレスチナ問題。あれ以来、ボクはパレスイナびいきになったので思わず読んだワケ。ということで、またまた40年以上昔にタイムスリップした。悪しからず。

アメリカよ、心配するな。イスラエルがついている。

アメリカよ、心配するな。イスラエルがついている。

地中海側の港町カイザリアのお土産屋の店先に飾られてあって思わずぱちり。誇り高いというか、冗談が好きというか。それよりイスラエルよ、パレスチナと仲良くしてくれ!話し合いすらしようとしないというではないか!

*写真はいずれも20年後再訪したときのもの。当時のことについても書きたいことは沢山あるがきりがないので止めます。

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