Xmas日中のミサ後慌ただしく出かけた2泊3日の天草巡礼

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ユンケル飲んでイザ!

コロナのお陰でJRを止めて車での移動が多くなり、しかも「運転はやっぱり楽しい!」ことになった。で、ドライブ日和の中、先ず中央駅で二人、30分後に伊集院で一人を乗せて一行4人のドライブ巡礼が始まった。フェリー乗り場には予定通り先着の別働隊2人が待っていた。これで、「御一行6名様」のミニ巡礼団ができあがった。

フェリークマモン丸?

フェリークマモン丸?

30分の短い航海でそこはもう天草。最初の目的地コレジヨ館までは19キロ。グーグルマップでは24分と出た。4月に赴任した姉シスターと聖書クラスの教え子2人のKさんが迎えてくれた。早速4つの資料館巡りができる周遊券を購入して学芸員の案内が始まった。先ずは天正の少年使節4人のDVD鑑賞。

1582年長崎を出発。マカオ、ゴアをへて喜望峰を廻り、2年半後リスボンに上陸した。4人とも年齢は定かでないようだが13才前後だったと言われる。若い!ともあれ、各地で熱烈な歓迎を受け1585年、教皇グレゴリ13世に謁見し大友、有馬、大村の3大名の親書を手渡した。8年後の1590年に帰国。

これからは、個人的独り言。派遣の目的は二つ。宣教活動の実績を認めてもらうことと経済的支援を仰ぐこと。ラテン語ができ楽器の演奏もできたというから優秀な4名だったわけで、高貴な婦人とダンスもしたという。イエズス会のもくろみは見事的中し、78にも及ぶ出版物が刊行されたというから驚く。宣教師たちも結構したたか。

ただ、4人の姿に袴帯刀にちょんまげはなく、完全にあちら風。「ヘンな格好!」と笑われたからだという。今では考えられないことだが4人の資質は歓迎されても日本の文化は否定された。明らかに日本蔑視の優越感によるもので、これは宣教活動にも陰を落した。シノドスを言うまでに440年もかかったことになる。

話は飛んだが、教会はまだまだ進化(深化)を続ける希望を持ちたい。(続く)

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