御遺体崇敬始末記

聖パウロ学院正門---ザビエル様当時の門。ヤジロウも通った。東からは太陽、西の空には真ん丸い月が残る中をゴア旧市街へ。30分ほどでボンジェジュ教会着。未だ明けやらぬ聖地は肌寒く境内の芝生はしっとりと夜露に濡れていた。

時間が早かったせいで、第1チェックポイントでは待たされることもなくスムーズ。ボンジェジュ教会前からは、二列に仕切られた屋根付きの長い渡り廊下を二列になって進んだ。約2時間。いつの間にかみんなとはぐれ一人になったのでポケットからロザリオを取り出した。少し、巡礼の気分になった。「やっぱり巡礼はいいなぁ…。」しかし、そんな感慨もすぐ現実の前に雲散霧消。

「携帯電話やカメラはつかえません。バッグは開けてください。」二番目のチェックポイントで女性の甲高い声が空港でのことを思い起こさせたからだ。「任務とはいえ、どうしてこうも命令口調になるんだろう。聖地なのに、もっとにこやかに言えないものか」と思ったが、それ以上は深入りしないことに。「穏やかに、穏やかに。」

自重しながら進んでいくうちに、何やら背中に物が触る感じに後ろを振り向くと腕組みをした女性の肘が当たったらしかった。しかし、列が止まるたびに背中に肘。「無作法な女性だな。」三度目、四度目までは我慢したが、一向に止む気配のない彼女についに教育的指導。「距離を取ってください。」すると、さすがにピタッと止んだ。

最後のチェックポイントでもちょっとカチン。ボディーチェックの後、「バッグは彼に!」またも命令口調。しかし、ご遺体は目の前、ここは正念場、穏やかに。しかし、不快指数7。そして、いよいよご遺体を目の前にしてまたもギョッ!なんとご遺体のそばには自動小銃を肩にかけたセキュリティーが。しかも、感極まって、ご遺体の前で数秒立ち止まって祈ろうとした瞬間、まるでハエでも払うような仕草の「キス拭き女性」(人々が棺に口づけするのでそれを拭き取る任務の女性-勝手な命名)に追い払われた。

ともあれ、夢の実現を果たしたとはいえ、たどり着くまでのいつもの多事多難に少しブルー。いずれにしても、ひからびたザビエル様の顔や足。実際に目にしたとき、日本人の感覚では公開は忍びなかった。しかし、これが聖者の厳しさかとも。宣教活動の厳しさもさることながら、山上島での孤独の旅立ちといい、その熱い情熱は人間的心情を超えて死後も人目に晒されることで人々の信仰を奮い立たせるに違いないとは思った。書くことは多いが次回に譲りたい。

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