WYDはボクにとって何だったのか(3)、滞在3日目のキエルチェから

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登山巡礼

聖十字架教会をバックに昨日は、聖十字架山巡礼は実現しなかったが、今日は、大急ぎで山とクラクフ旧市街にある「宮殿」めぐりを紹介したい。7月25日ホストファミリーが見送る中賑やかに出発。にぎやかと言えば、同行したアダムス神父様は歌うのが好きで、民謡や日本の若者にもおなじみの”森へ行きましょう娘さん”を歌ってみんなを喜ばせた。登山巡礼と言っても、一時間余りのドライブの後、バスを降りて、なだらかな道のりを2.5キロおしゃべりしながらのどかに歩くピクニックといったものだった。

聖なる木片にほおずり

十字架の下の聖櫃に納められていて、かねては公開しない。聖十字架山の名の由来はイエス様がかけられた十字架の一部を大事に保存している教会があるから。日本巡礼団は一人づつ接吻させてもらった。そういえば、ヤスナグラの黒い聖母もエルサレムからもたらされたもの。南インドには使徒聖トマの墓もおあるし、チェヌットゥバチカン大使も信じて疑わない。当時の人々の動きは、今の人間が想像する以上に活発、かつ広範囲にわたっていたのかもしれないと思うと、すなおに崇敬したほうがいいと思ったのでアリガタク接吻した。といっても、かざす司祭とボクとの呼吸が微妙にずれて、唇ではなくほおずりする感じになってしまった。何しろ100名の日本人が列を作っているのだから、十字架のもとにたたずまれたマリア様の「刺し貫かれたみこころ」を思う暇もない流れ作業になるのも仕方のないことではあるが。そういえば、数年前、ゴア巡礼でザビエル様のご遺体に崇敬した時も、立ち止まって少し祈ろうとしたら、係りのおばさんから「立ち止まらずさっさと行きなさい」みたいなことを言われ、感慨にふける間もなく追い立てられたことが蘇った。観光地化すればどこも同じことになるのかもしれない。

宮殿潜入

教会からもらったガイドブックから失敬した。司教の宮殿、とキャプションにある。ともあれ、聖なる山を下りて、キエルチェ教区のカテドラル訪問に向かった。重厚で古色蒼然としたカテドラルはバロック様式。被昇天の聖母に捧げられた教会で1171年の献堂というから驚く。もちろんそれから、いろいろ手を加えられて現在の形になった。ミサがなされていたので、司教様の宮殿見学に。正直言って、なぜかボクにとって一番疲れるのが博物館の見学。だから内部の写真は一枚もない。その後の自由散策は、自由とはいえ未知の世界ゆえ、おのずと団体で動くことに。

旧市街散策

カテドラル下の公園旧市街地区というだけあって、石の文化の力強さというか、歴史の厚みというか、悠久の時を経たにもかかわらず、おそらく100年前も同じだったに違いないと思わせるようなどっしりて風格に満ちたものだった。丘の上のカテドラルの下の方には清水が流れ心和ませるきれいな池のある緑地帯は洗練された落ち着きがあって羨ましかった。朝から盛りだくさんでさすがにゆっくりしたいと思った。どうでもいいことだが、どこでお昼をとったのか、その日の夕食は何処だったのかが定かでない。ポーランド料理を口にした実感がないのが今でも口惜しい。

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