言い訳
今日のみ言葉はルカ19・1-10ザアカイの回心。印象深いのは「ザアカイは思わず立ち上がった」ところ。なぜ印象深いのかが今日の主題。もっとも日本語の本文に「思わず」はない。個人的見解。本来は、教会のブログに書くはずだったが、予定変更。
突然の心変わり
実は、この「立ち上がった」という言葉は、元の言葉はどうも受身形らしい。らしいというのはギリシャ語に自信がないからだが、調べてみたら、受身に変化するときの一語があることに気がついた。英語の訳では「地面を立った」という日本語にならない表現になっていて、なぜ、わざわざ「地面」を加えたのか気になった。「自分の意志というよりも、何かにつかれたように思わず立ち上がった」という状況ではないかと推測したくなった。そうだとしたら、イエス様と出会ったザアカイさんは、「あんな罪深い男の…」という声が耳に入るや、思わず立ち上がって一気にまくしたてた。「私は、財産の半分を貧しい人にあげてもいいです!」驚く人々を見まわしながら、さらに言葉を継いだ。「いや、もしだまし取ったら5倍にして返します!」
立ち上がった
「立ち上がった」という一言をめぐって何が言いたかったかというと、イエス様と出会ったザアカイさんの高揚した気持ちが、これまでと違って生き生きと思い描かれたからだ。「お金ではない!」新しい気づきに高揚したザアカイさんは、因業な税金取りというイメージだったが、実は、元々単純な愛すべきキャラの持ち主だったのではないかと思えたのだ。かつてのフランシスコ会訳では「すっくと立ち」となっていて、それはそれでザアカイさんの心意気を感じる訳ではあるが、個人的には「思わず立ち上がって」にしたい。
無血クーデター
これまでは、家族を養うために、村人から後ろ指刺されながらもじっと耐えてきたが、たまたま一夜の宿を提供することになったばかりに、自分でも予期しなかった財テク中止。いや、蓄えたものを太っ腹放出。これは、いわば、エリコの村の無血クーデター。あまりにも突然のことに半信半疑の村人たち。ざわめく村人たちに向かって声を上げた主の言葉、「今日、この家に救いが来た!」かつて、教会学校の子どもたちに、「ザアカイさんが回心した後のエリコの村はどうなったと思いますか」と質問したら、村人がみんなニコニコしている絵を描いた。毎日そうありたい。
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