50周年考

主任司祭の挨拶このところ、50周年を祝う機会が多い。今日は、5年間務めた志布志教会と幼稚園の50周年。50年が一区切りであることは、記念祭の度に思う。50年たった今、小教区をはじめ宣教会や修道会も軒並み老年期に入った感を否めない。日本社会の変化の激しさと相まって、教会はその激しさについていけずに置いてきぼりにされているようでもある。

しかし、今日集まった約400名もの人々の半分はフィリピン人との感想を持つほどにたくさんのフィリピン人家族が参集した。彼女たちの動員力と明るさ、そしてパワーが今日の記念祭を意義深く豊かなものにしたのは間違いない。彼女たちと同伴した家族を見ていると50年で老化する構図はない。むしろ、50年後の聖霊降臨の今日、志布志教会は彼女たちの家族で溢れ、湧きかえっていた。

身を潜めていた弟子たちが表に飛び出し、これまで体験した神の業を口々に証言したときの熱い思いが再現されたかのようだった。そこがこれまでの50周年祭と決定的に違うところだ。老いることのない教会の姿をキープするためには彼女たちとその家族が日本の教会にどれだけ同化してくれるかがカギとなる。そんなことも願いながら説教もしたつもりだが。

ともあれ、ミサ後の祝賀会は、ステージ中心の発表会。園児たちの園歌発表に始まって、社交ダンスあり、小学生のフラダンスあり、志布志教会始まって以来の一大イベントの感。聖霊降臨が単なる一過性のイベントではなく、教会の誕生であったことを思うとき、今日が、日比融合教会の誕生日であることを祈りたい。

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