そしてシスターが大慌てで逃げた話の続き
こうして、踊りが一段落ついたところで、司会者は私を壇上に招いた。「それでは、これから日本から来られた神父様にご挨拶をお願いします。また日本の歌もお願いします。」身を固くしていた私は踊ったことで気持ちがほぐれたことは確かだった。
それにターポイによるほろ酔いも手伝って臆せずに壇上に上がった。「こうして皆さんと楽しい時を過ごすことが出来て大変嬉しい」と型どおりのことしかしゃべれなかったが、歌は故郷を歌い、ここのように美しい故郷を懐かしがっている歌だと説明した。
すると、村長さんがステージに上がり、「神父様は故郷を思い、よっぽど感動なさったに違いない。実は、私も日本の歌を知っているので歌ってみたい」と言って歌い出したのが、なんと「見よう東海の・・・」という軍歌だったから驚いた。
しかも、私は初めの1行しか歌えないというのに最後までちゃんと歌われたのだ。40年前には、屈辱以外のなにものでもなかったはずのこの歌を今はこうして「日本人司祭」の歓迎のために歌う。時間がそうさせていると言えばそうだろうし、信仰によるといえばそれもそうだろうと思う。いずれにしても、手放しでありがとうを言うにははばかられたが、拍手を惜しまなかったのは言うまでもない。
人が出会うとき、お互いに共通点を見いだすと嬉しくなって心を開きやすくなるのは自然なことだ。今回は少し複雑だ。いじめられたという忘れることの出来ない悔しい思い出にもかかわらず、いじめられた側の人がいじめた側の歌を歌ったことに驚く。
というより、同じ信仰という立派な共通点を持ちながら、なおかつ、もう一つの共通点を上げようとして「見よ東海・・・」しかないということはやはり悲しいと思う。今日はこうして暮れた。
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