いたいけな幼い命がまた奪われた。それにしてもあの会見は何のため?

それでも!Blog

みんな被害者

事故を起こした女性は加害者であり、被害者。逮捕された後、間もなく釈放されたという。それでも、加害者としての悔悟の念が消えることはない。生涯苦しまなければならない。一方の女性にはもっと厳しい視線が注がれている。彼女としても第一原因となったことに対する慚愧の念に堪えなければならない。我が子を失った両親をはじめ身近な人々の悲しみの深さは計り知れない。

会見の基準は?

それにしてもあの会見、何のために、誰のために設定されたのか。青天の霹靂、驚天動地の悲劇の直後にどうしてそっとしておかなかったのかと思う。顔をあげることもできずに泣き崩れる園長先生らしき女性に質問するメディア。遠慮がちではあったが。それでも、いかに職業とはいえ、無神経というよりも無慈悲な感じがした。今後このような悲しい事故が起こることのないようにという戒めになるから?しかし、そうした思いは幻想でしかない。死刑制度にもかかわらず重大犯罪がなくなることがないではないか。事件の様子は新聞テレビで十分報じられるのだから、こんな時こそ「しばらくそっとしておいた方がいい」という忖度が欲しかった。ともあれ、会見するしないの基準は何?

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