1983年12月15日マニラを出てバギオからパリーナ経由でバクン

そして今日19日は結婚式

近くの民家の屋根でさえずるイソヒヨ。ホント久しぶり。嬉しかった。

近くの民家の屋根でさえずるイソヒヨ。ホント久しぶり。嬉しかった。

ミサにつづいて結婚式が執り行われた。ここでも真新しいことを目にすることが出来た。誓いの言葉が終わると、結び目のあるロープが二人にかけられ、花婿は両手に持った1ペソ硬貨数枚を花嫁の手のひらに落とす。

意味するところは一目瞭然。初めての私でも推測がついた。つまり、二人は一つの絆によって結ばれ、男の使命は糧を得て家族を養うことにある。花嫁はすでに身ごもっていて、式の途中で戻してしまった。シスターは「ときどき気を失って倒れる人もいるのよ」と顔を曇らせた。

葬式もそうだが結婚式はとりわけ大きな出来事で村中で祝うことになっているという。全員にご馳走が振る舞われ、豚肉のお土産まで着く。新婦の家の庭先には、頭をちょん切られ、すでに解剖済みのまるまる太った大きな豚がムシロ上に横たわっている。今日は3匹が犠牲になったらしい。2匹はすでに解体されて大きな釜の中でぐらぐら煮たっていた。

人々は、庭を大きく囲むように腰を下ろし、ご馳走が出来るのをじっと待ってている。そして、珍客の様子を好奇に満ちた目でジロジロと観察している。ここでも、やせこけた犬が何匹もご馳走をかすめようとして怒鳴られたり、たたかれたりしていた。

パリーナの若者達との会食。ボクの両隣右アルビン君。左ピーター君。

パリーナの若者達との会食。ボクの両隣右アルビン君。左ピーター君。

ご馳走ができあがるのを村人ともどもひたすら待ち続ける。待つのもさることながら私としては料理が気になっていた。お腹がすいたからではない。時々風が吹くと庭のホコリが一気に舞い上がり、ご馳走めがけて盛大に降り注ぐのだ。

「ああ、これを供されるか」と思うと気がめいるのだが、何もかも煮てしまえば煮沸消毒、いい味に仕上がるかも。覚悟を決めるほかない。それにしても、犬は追っ払ってもホコリはいっこうに気にならないらしい。山の人達のおおらかさ?

やがて、高床式の新居の階下に陣取っていた人たちが退去を命じられ、ほうきがかけられた。主賓の新郎新婦と来賓を招くための準備であるのだが、またしてももうもうとホコリが舞う。ヤレヤレ。

新郎新婦につづいて我々二人の司祭とシスター、そしてカテキスタが招かれた。そして、先ほどのホコリで盛大に味づけされた豚肉とスープが運ばれ、神父さんの祈りをもって衆人環視の中での会食が始まった。

厳かというか物静かというか、とにかくおしゃべりはもちろん歌や踊りもなく、村人が静かに見守るシンとした中での宴席に戸惑った。子どもの頃の食事は話し好きの伯父が同居していたこともあって笑いやおしゃべりが絶えることはなかったのだが、この静かな会食には違和感すら覚えた。

バクン地方はこんなに急峻。中腹あたりに集落がある。今では車道も。

バクン地方はこんなに急峻。中腹あたりに集落がある。今では車道も。

しかし、ここ山の人たちにとってはこれが通常の食事風景なのかもしれないと思ったのは昨晩の夕食と全く同じ雰囲気であることに気がついたからだ。お代わりを促すときも小さな声でとても控えめなのだ。

物静かさにかけては勝るとも劣らないはずの日本人の、時にはうるさく感じるほどの進め方とはまるで違う。外人で、しかも司祭である私の口に合うどうか気遣ってくれているのかもしれないが、とても感じのいい勧め方で好感大なるものがある。

*会食の様子はまだつづく。

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