行くところ、行くところに教会がある
へー、南方新社がついにこんな本を出したか。奄美に関する本をよく出してくれる出版社で、いろいろ買ったことがある。社長さんは県知事に立候補したり、原発問題にも積極的に関わってくれる人で集会にも顔を出したことがるので、親しみがある。
「ところで、だれが書いたの?」諏訪勝郎著。著者を見てビックリした。「えっ諏訪君?!」思わず声を上げた。司祭職への押し活も空しく教職に身を転じて以来すっかり疎遠になり、たまに昔の我らがたまり場で一杯やる程度になってしまっていた。
その彼が突然、数々の著作を世に問う著者として目の前に現れたのだ。「え、えっいつのまに?」でも、「ア~やっぱりね。」すぐに納得できた。神様は司祭職ではなく書くことに呼ばれたのだ。薄給(失礼)にもかかわらず淡々としている姿は仙人の風情すらあったのだ。
ア~ベルナルド!
ボクの思いはもう一つあった。司祭になったら、すぐにポルトガルに派遣して、ベルナルドについて研究して欲しかったのだ。彼は鹿児島出身で、ナバラ大学の優秀な学生だった。ボクが知っているのはそれだけ。ザビエル様が目をかけただけあって素晴らしい司祭になるはずだった。それも神様の思いではなかった。それでもベルナルドへの思いはいまだに断ちがたいものがある。
ベルナルドに、諏訪君。どちらも、ボクの思いとは違う思いの神様の手にかかったのだから仕方ないのだが。
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