信者席で祝った大笠利教会献堂式はちょっとホロニガ

思いっきりゆっくり出かけた

「8日の浦上のミサはどうされますか?」「もちろんするよ。」「献堂式があるんですが…」あ、そうだったな、と思ったものの済ましていくので共同ミサには参加しない旨伝えた。急げば間に合わないわけではなかったのだが。

説教の時間に着いた。中に入ってしばらくは立ったままで聞いたが、なんとなくバツが悪くなったので外に出た。も一つの入り口に行ったら開いた椅子をすすめられた。祭壇も見えず声だけだったがそれはそれで集中できた。

ミサ後はいの一番に屋内の会場でごちそうの席に着いた。海苔巻き2個と豚汁。誰にあいさつするでもなく食べ終わるとさっさと帰った。受付でお祝儀を渡してミサには半端に与り、ごちそうを食べて帰る。

自由の身の気軽さは満喫したが、司祭にとってミサなしのお祝いはなんとなく後ろめたくホロニガだった。ミサの時間を30分早めてもよかったのだが思い付きすらしなかかったのだ。なにしろ4つもすることになるのでね。

そして司祭休日の今日

小さなお姫様の主人公セーラ11才

小さなお姫様の主人公セーラ11才

お昼をすましてBSをつけたら”小さなお姫様”という映画が始まっていた。奥さんを亡くした裕福な軍人の娘セーラがニューヨークの寄宿学校に預けられるところから見たが最後まで見ることに。

夢見るようなセーラは友達や厳しい校長先生にいじめみたいな待遇を受けてもいじけることもなく次第に友達から慕われる存在になっていく。父親戦死。路頭に迷う運命を救ったのが校長先生だが、寄宿生としてではなく貧しい黒人の女の子と同じ部屋での下働きの身に。

それでも彼女の部屋には夜な夜な彼女のお話を聞きに子どもたちが集まるように。ドキドキハラハラの後で、戦死したはずの父親と再会するというハッピーエンド。童話の世界を満喫できる心温まるお話。

ボクの結論

育ちのいい子はどんな人をもいい人に変えてしまう。昨日のホロニガも癒された。

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