おじ逝く

歴史公園「ごはんヤ、イランドー。」(朝ごはんは食べないよ。)2日(土)午前6時半。それでも、いつものように台所で朝食の支度をして枕辺に運んだ。様子がおかしい。

そっと手をかざして呼吸を確かめたが気配がない。あわてて脈を取ると反応はなかった。わずか30分後のことだ。95年の人生の幕切れはあっけなかった。「こんなにも楽な逝き方をするとは!」前晩の久々の食欲を喜んだ翌朝なだけに、さすがの気丈夫な叔母も驚いたという。それにしても、竹を割ったような性格のおじらしい。

20年ほど前だったか、脳こうそくで倒れ、右半身に後遺症が残った。しかし、サトウキビ農家一筋の叔父は、不自由の身ながら、耕運機を操り、つい最近まで篤農家として名をはせた。いつしか、右半身の不自由さも克服し普段の生活に支障をきたすことはなかった。そして、カブ号で行く主日のミサも欠かすことはなかった。そんな叔父の信仰は5人の男の子たちにしっかり受け継がれている。

ミサの説教は孫たちに。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」(ロマ8.35)。おじいちゃんはそうだった。戦争でどんなに苦しい体験をしても、戦後の貧しかった時も、みんなのお父さんたちを育てるためにたくさんの苦労をしいられてもイエス様から離れることはなかった。

「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(38‐39節)おじいちゃんがそうだった。どんな事が起ころうとも、どんなことに巻き込まれても「神様は愛です」ということを決して疑うことはなかった。

これがみんなへのおじいちゃんからの生きた遺言。みんなもそうして生きて欲しい。言葉は生きて働くもの。おじいちゃんのこんな生き方を心に収め、大切にして欲しい。辛いことに直面したとき、希望を失いかけたとき、それでも、顔を上げて前に向かって歩き続ける力が湧くはずです。おじいちゃんの言葉が生きて働くからです。神妙に聞いてくれたのが印象的だった。

こうして、我々従兄弟従姉妹たちにとって、叔父、叔母と呼ぶ人はもういない。バトンタッチがなされた。そんな思いを確かめるかのように、納骨後の会食は、時がたつのも忘れるほどに盛り上がった。

*奄美での写真を誤って削除したのでタイでのもの。天国の叔父はこんなきれいな庭での神様との散歩を楽しむに違いない。

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