お別れはテープを切って、手を振って

教会は島のほぼ中央にあることが分かる「11時10分ので帰りますから皆さんもお見送りに来てください。」主任司祭の言葉に、シスターをはじめ数十人の皆さんが船着き場まで降りてきてくださった。そして、色とりどりのテープが配られ、かつての奄美や種子島での別れの光景が再現されて照れ臭いやら懐かしいやらで、思わず「ウッ!」ときてしまった。だが、いよいよ、出航の汽笛が鳴ると、まるで「ヨーイ、ドン!」の合図とともに一斉に走り出す選手のように一斉に全員の両手が挙ったのでなんだか可笑しかった。ボクも、弾かれたように帽子をとって力一杯左右に振った。すると、別れがホンモノになって、目の中が水浸しになってしまった。

「今度は巡礼で来ま〜す!」と叫んだ。自分でも予期しない言葉だったが、聞こえたようで、大きな頷きが何度も返ってきた。とっさに出た言葉ではあったが、確かに、巡礼の価値はある。それに、宿泊は信徒会館でもできるという。公共の建物ではと見紛う教会入り口左にデンと構える二階建ての建物がそうだが、海の幸を豊富に提供する信者経営の民宿もあるのでその方がいいに違いない。地元の佐世保と島民を結ぶ唯一の足信者たちと直に交わることで信仰を分かち合うことが巡礼の大きな目的でもある。何よりも、迫害を逃れてきたキリシタンの末裔である信者たちとの交流の意味は大きい。是非、実現したい。いつもの悪い癖で、テープでの別れから発展し過ぎた。

個人的に口をきくこともなく、一方的に喋っただけだったが、黙想会そのものの印象は衝撃に近かった。身を乗り出すようにして3日間同じ場所に座ったご老人。内陣左右に設置された簡易告白所に腰を下ろしたと思ったら、「待ってました」とばかりに、まるで駆け寄るかのようにやってきてサッと跪くのにも驚いたが、そうなるとしばらくは途切れることがない。

何よりも「手慣れた」感じが凄い。赦しの秘蹟のベテランという風格すら感じたほどだ。鹿児島だと、ボクの場合、いくらかのオサトシもするのが普通だが、「…赦しをお願いします」、「ハイ、では神様の慈しみに信頼して天にましますとめでたしを3回ずつお捧げください。」「天にましますとめでたし3回」はどの人にも一律。あまりにも多いということもあるが、ふと放蕩息子を迎える父親島での別れにテープはつきものの姿が思い起こされたからだ。御父も「よく来た、よく来た」と神妙に額づく一人一人に手を延べておられるように思えたのだ。

そんな気になったのは手抜き?そういえば、一人のご老人は、償いを言おうとしたら「ありがとうございました」と言ってさっさと行ってしまった。「チョチョット…まいいか。」放蕩息子をめぐる講話が効いたようだ。御父も肩をすくめて”ま、いいか”とお許しになるに違いない。

ともあれ、ある時は二人で、ある時は三人で聞いたが、こんなにも楽しく?苦にならなかった赦しの秘跡も珍しい。

夕食は、乗船間際に送られた新鮮伊勢海老を一人一匹の豪華版。

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