「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です1981日)まるヨハネ・パウロ2世のあの広島アピールが、観念から文字通り血の通った生々しい叫びに変わった。
昨夜、全教区から集まったWYD運営委員のメンバーと共に鑑賞した「は強烈な印象を残した。人間ヴォイティワは演劇サークルの代表として活躍する好青年。そんな幸せな生活はナチの侵攻によって一変する。病弱な父親との逃避行。追い討ちをかける機銃掃射に逃げ惑う同胞たち。なす術もなく悔しさに唇を噛むだけのヴォイティワ青年。それでも、絶望しかけた父親を背負いアパートの一室に身を寄せ、父親を看護しながらの仕切り場での過酷な労働の日々。
ポーランド人を動物以下に見下し冷血非道の虐殺を楽しむかのようなナチの親衛隊総督。そんな中での父親の突然の帰天。「なんで僕を一人にした!」と慟哭する姿に、父ひとり、子一人の父子家庭だったのだと初めて知った。ロシア侵攻でドイツの圧政から解放されて喜んだのもつかの間、今度は共産主義の脅威にさらされることに。そんな中での神学校入学、そして司祭叙階。若者たちとスポーツに興じる溌剌とした生活は、予期しない司教任命によって終止符を打つことに。一瞬困惑したものの、その場で、「お受けします。」
思わず、「あっ!」と叫んだ。もっとも、ボクの場合は、「断りはしませんから…」とキッパリ感に欠けるが、即答という点では同じだったからだ。その時の司教が共産主義政府と対峙したあのビシンスキー枢機卿だったことも知った。
話を元に戻そう。「戦争は人間のしわざです!」という言葉が、3時間にわたるビデオ鑑賞の後では、ヨハネ・パウロ2世の叫びに聞こえた。このアピールが、教皇の筆舌に尽くしがたい辛く悲しい体験から来るものであったことが初めて分かったからだ。そして、かつて日本が強制した創氏改名や強制連行が思い起こされた。あのナチ親衛隊総督の末路と断頭の露と消えた戦犯者たちが重なった。
ともあれ、広島平和アピールを初めて真摯に読み返すことに。WYDに参加する若者だけでなく、すべての人に見てもらいたいと思った。
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