なじみのない式だが、今日初めて司式した。神学の勉強が始まる前にすることの意味は大きい、と思った。神学課程は、当たり前だが、司祭職を前提にしたものだけに、司祭になることがどういうことなのかを分かっておく必要がある。印象深かったのは、将来、司祭として教会共同体に忠実に仕えていく覚悟ができているかを問うくだり。
とくに、司教の長い訓戒の結び、「…わたしたちは皆、主に信頼し、愛と祈りによってあなたの助けとなりたいと思っています」は、式文を読んでいる自分でも、思わず「ウッ」ときた。「皆が祈りで支えているから頑張ってほしい」というのは実感だ。
順調に行って、彼が司祭になれるのは5年後ではあるが、今日の認定式で、一段と気持ちが引き締まったに違いない。もっとも、京都西陣教会から長崎西坂の丘まで、870キロの殉教者の道のりを巡礼している途中の彼にとっては、残り170キロ踏破が当面の関心事には違いないのだが。ともあれ、一カ月余りを歩き続ける信念とタフさが将来の司祭職にとって意味のあることには違いない。
認定式ミサの参列者は、5,60人と少なかったが次回はもっと多くの人々に関心を持ってもらいたい。しかし、これはこれで、助祭叙階、司祭叙階式にはない特別の感慨がある。良く準備された典礼的激励会というのが印象。だから、もっと多くの人に参加してもらいたい。新ミサ典礼書の発行の遅れや「手抜き教会の祈り」にはふがいない思いがいっぱいだが、今回の認定式式文はよくできていると思った。
Youcatの時間と重なったので、彼らも式後の軽食パーティーに招待。勉強会はお休み。
*写真がないので、長崎の黒島や17日の甲突川でのミラーレンズでの試撮会での水鳥たちに登場してもらった。
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