「20日の卒業式には来ていただけるのでしょうか。」「予定表を見ないと…。」「おいでいただけるとお返事を頂いていますが…。」「え、あ、そうですか。」「祝辞をお願いしたいのですが…。」たたみかけるような言葉に、あわてて予定表を開けるとなるほどある。
そういえば、町でははかま姿の若い女性が目に付くようになった。はかま姿はやはり華やかな春に似合う。どこかの大学の卒業式の帰りかと思うが、我らがカトリックの純心短大は地味だ。卒業式は制服姿が見慣れた光景。ピンと背筋を伸ばして座っている姿は清楚で凛としていい。228名の卒業生のほぼ全員が就職が決まり、文字通り希望の春を迎えた。
学長さんの祝辞はフランシスコ教皇の回勅「ラウダート シ」を引用されたり、カトリック校らしくさすがだった。二番手のボクとしては、いつものことながら、整然とした話ができない。一斉に立ち上がった卒業生に、「おめでとうございます!」と溌剌と挨拶して面食らった。「…」「ありがとうございます」という元気な返事は幼稚園で終わっていたのだ、と気付くのに数秒。「あ、ま、お座りください。」
「おめでたい日に、水をさすようですが、今日の日曜日は、教会では受難の主日といって、人々がイエス様のエルサレム入場を歓迎したこと、しかし金曜日はイエス様を十字架につけたこと、そして今度の日曜日が復活祭となります。死と復活。復活は新しい創造。創造といえば天地創造。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
マリア様の混沌、パニックはお告げ。そして、“なれかし”。……マリア様のように強い心の人になってください。イエス様の十字架上での『父よ、私の魂を御手に委ねます』はマリア様から教えてもらった『お言葉通りこの身になりますように』“Let it be (done to me as you say.)なれかし”だった。皆さんはカトリック校で学んだ特別の人たちなので、将来の子供たちに、マリア様にならって、強い心で生きる道を示していただきたいと思います。」
はなむけの言葉になったか、それとも、コントンのままだったのか。いずれにしても、輝く人生を築いて欲しい。
コメント