思いつくままにカプチン会神父様たちとの思い出

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アグネラス神父様のこと

奄美ミッションのⅠ番手として派遣されたのはフェリクス神父様(後の那覇教区司教)とオーバン神父様の二人。いわゆる主任を務めたのはフェリクス神父様でグアムとか本国に出張の時はオーバン神父様が代わりを務め、せっせと報告書をしたためた。その後派遣された二人の神父様ついては「ホントそうだった」と納得した。

「アグネラス神父はあまり外向的ではありませんがそれには苦労しています。・・・彼は瀬留に一人でいます。」彼の侍者をしたりはしていたが、親しく話しかけられた記憶はない。なるほど外向的な人ではなかったのだと合点した。思い浮かぶのは無口で気むずかしそうな顔だ。

県の要請で国体用の花を植えました

県の要請で国体用の花を植えました

忘れることの出来ない二つの思い出がある。当時はラテン語でしかも背面ミサ。だから両脇の侍者は司祭の後ろにいて手遊びしたり二人で信号を送り合ってふざけることもあった。「イックエストゥ・・・(振り返ってギョロッ!と睨む)・・・コルプスメウム」(これは私の体である)。あのギョロッ!は今も焼き付いている。

もう一つは、教会裏には元幼稚園の建物があって、格好の遊び場になっていた。何時ものように、悪ガキたちが窓から飛び降りたり女の子たちに悪ふざけをしたりして賑やかに遊んでいたときのことだ。顔半分にひげそりの白い泡を残したままの神父様が飛び出してきて、いきなりK君を抱えておしりをたたいたものだから動転した。

「バアチャン!バアチャン!」予期しない突然の事に泣き叫びながら駆け出した姿を忘れない。オバアチャンっ子だったK君にしてみればおとなしいお母さんよりも周りの子どもたちも恐れていた強いオバアチャンの事が思われたに違いない。おしりたたきの真の理由は未だに不明だが、窓からの飛び降り頻度が高いのがK君だったから?

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