寸暇を惜しんでは70年前の神父さんたちと再会している

もちろん「宣教実録カトリック琉球列島ミッション」のことだ

今日受け取ったカトリック新聞にも取り上げられていた。奄美や沖縄の人々にとってはアメリカ人宣教師たちとの懐かしい思い出が満載。遠い昔のセピア色の司祭や教会、人物が活き活きと蘇ってくるので飽きることがない。新しい発見というか、由来が分って感動することも多い。故郷の教会の聖櫃もその一つだ。

オルガンも来たらしいが、これは多分名瀬の教会で「完璧に演奏されています」とある。聖櫃も三つあって、「そのうちの一つは瀬留のために持っていきます」とオーバン神父さんは書いている。初めて知ることで感動。母国には「オーバン神父の宣教を支える会」というのがあって、グアムとも繋がっていたらしい。70年遅れの感謝だ。

瀬留の村で愛されたブイジュ神父様

瀬留の村で愛されたブイジュ神父様

瀬留教会100周年記念祭での一コマ。主任司祭演じるブイジュ神父様は村のみんなから愛され、海のもの山のものいろいろなものが届けられた。カーテンの後ろが祭壇。その中央にグアムからの聖櫃がある。聖堂自体は第二次大戦で被災したが、骨組みは100年前のまま。カプチン会の神父様方によって新しくされた。

話を戻すが、当時、沖縄、奄美はカプチン・フランシスコ会の手に委ねられていて、グアム修道院の管轄下にあった。奄美のことは北琉球と呼ばれ、まもなく、琉球と北琉球は分離。地政学的にも民族的にも違うというのが理由だったらしい。そして、沖縄はグアムからも離れてバチカン管理下に置かれ管理者としてフェリクス神父様が任命され、やがて司教に叙階。豊かなアゴヒゲを生やした穏やかな方だった。(続く)

奄美空港離陸直後の風景

奄美空港離陸直後の風景

 

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